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日にち薬の効能


IKEAで買ったツリー

11/1、気が早いけどクリスマスツリーを飾った。

10月中、ハロウィンらしいことは何一つしなかった。
そもそもハロウィンという文化に全く馴染みがない。
仮装と言えば欽ちゃんの仮装大賞だし、かぼちゃと言えば煮付け一択の昭和生まれだもの。

今年はハロウィンというイベントをスキップした分、クリスマスを思う存分長く楽しんでやるぞ!と意気込んで、早々にクリスマスツリーを引っ張り出してきた。

とは言え、ここ数年は我が家の犬がまだ小さくて誤食の可能性があったので、クリスマスツリーを飾ることからは離れていた。

ツリーには全く興味がない様子


今年犬は5歳となり、誤食の心配も無くなったのでまたクリスマスツリーを飾れるようになった。

久しぶりのクリスマスツリーとの対面で、それを初めて買った7年前から今までのことが思い出されたので書いておこうと思う。

150cmくらいあるので組み立てるのは地味に大変


まず、クリスマスツリーを買った時のこと。

小さい頃、我が家のクリスマスと言えば、ケーキとチキンを食べて、プレゼントは親に欲しいものを伝えて買ってもらう形式(幼稚園の時点でサンタはいないと知っていた)を取っていたんだけど、我が家にクリスマスツリーは無かった。

当時の私は、映画『ホームアローン』の世界に憧れていた。
クリスマス仕様にデコレーションされた家、大きなもみの木、クリスマスパーティー、朝起きたらツリーの下にはたくさんのプレゼント…

大人になったら、家には大きなクリスマスツリーを飾って、子どもには大きくなるまでサンタを信じてもらえるように全力で頑張って、ノリノリでパーティーしちゃうお母さんになるぞ、と漠然と思っていた。

そして、大人になって家を買った年、私は念願の我が家のクリスマスツリーを手に入れた。

飾り付けをしながら、当時新婚だった私は「もしかしたら来年は赤ちゃんと一緒にこのツリーを見ているかもね。赤ちゃんのうちからたくさんクリスマスプレゼント買っちゃうよ」なんて呑気に思っていた。

翌年、新婚時期を終えた36歳の私は早く子どもが欲しかったので不妊治療を始めた。
同時に会社では部署異動があり、大きく環境が変わった。

たった数年前だけど、今ほど治療に理解のある状況ではなかった。
治療することを男性上司に伝えるのも言い出しにくかったし、上司も受け入れてくれたけど「仕事には穴をあけるなよ」感が強かった(ように感じた)。

治療が始まると周りに謝り倒しながら突発休を繰り返し、休みをリカバーするためにただでさえ忙しいのにさらに業務は増え、治療で具合が悪くなったり、それでも会社のトイレでお腹に注射打ったり、とそんな毎日だった。

ただ、治療を始めた年はうまくいかないことがあってもまだまだ希望があった。
頑張ることがいつか成果につながるはずだ、と信じられていた。

そして冬。
クリスマスツリーを飾り付けながら、この年はまだ「来年は家族3人でクリスマスだなあ」と思ったりなんかした。

翌年。私、37歳。
異動から1年、環境にも仕事にも慣れたけど、ちょうど社歴10年を迎えた時期だったので、本来の業務プラスαで次期リーダー・管理職向けの研修を受けたり、自分で研修を企画・実行というミッションも加わり、さらに忙しくなった。

治療は2年目に突入し、思うように結果が出なかった病院から評判の良い病院へ転院して治療を続けていた。

転院先では多少進歩があったけれど、医師は目も合わせずに診察3分、とにかく結果が出るまで間髪入れずに淡々と治療を続けるみたいな方針だったので、エモめなわたしはなかなか心が追いつかず、さらに妊娠していないという結果が重なってメンタルがやられてしまい、休み休み何とか治療を続けていた。

この頃の私はジェットコースター感情MAXで、電車で妊婦さんや子どもを見ると泣いてしまったり、会社で誰かの妊娠報告を聞くと、おめでとうと喜べない自分に嫌気が差すのと「なんで私は??」がセットでトイレで泣いたり。
とにかくよく泣いていた思い出。

その年の冬。
クリスマスツリーを飾り付けながら、この年は恐怖を感じた。
「来年も(夫と)ふたりだけだったらどうしよう。クリスマスどころじゃない。
わたしの人生に子どもが欠けている、これじゃあ幸せになれない」と。 
それでも、夫には気づかれないようにクリスマスを楽しみにしてる風に振る舞った。

さらに翌年。私、38歳。
仕事ではリーダーに昇格してさらに忙しくなり、治療も3年目。

職場では公に治療をしているとは言っていなかったけど、この頃になると職場のみんなも口には出さなくとも私が不妊治療していることは何となくはわかってくれていて、休むことに以前ほど罪悪感はなくなっていたし、みんな協力的で仕事の調整もトイレで打つ注射も慣れっこになっていた。

だけど相変わらず結果は出ず。
治療し続けるしかないんだろうけど、金銭面で言えば外車の新車買えるくらいのお金を投入しているのに費用対効果ゼロ。「お金をドブに捨ててるようなものでは?」と口座のお金がどんどん減るのを見ながら、いつまで続くんだろうと不安でいっぱいだった。

治療には慣れても、結果が出ないことには全く慣れることは無かったし、子どもがいないことに悲しい、悔しいみたいな気持ちは決して小さくなることなく、逆にどんどん膨れ上がっていくように感じた。
まるで悲しみの大きな岩を背負っているような、重石をされているような、根底に悲しさがずっとあるような毎日だった。

この年の冬は正直クリスマスツリーを見たくもなかった。
「今年も結局ふたりじゃん。来年のこともその先のことも考えたくもない。」
と思いながらも、私の悲しい気持ちを理解しながらずっと見守ってくれている夫に申し訳ない気持ちもあり、いつも通りクリスマスツリーを飾った。楽しそうにはできていなかったように思う。

年が明けてまた治療を再開したけれど、結果的にそれが最後の治療となった。

病院で妊娠判定の陰性を告げられた帰り道、病院から新宿駅まで人目もはばからず号泣しながら歩いた。

そして、駅のホームで電車を待っている時に、ほんの一瞬だったけど「飛び込んでしまいたい」と思った。
ヤバイな私、ここまで来てしまったんだと思った。

その日は午後から会社に行く予定だったけど、さすがに行けずに仕事を休みにして家に帰り、夜になって仕事から帰った夫に昼間のことを伝えた。

その日、ふたりで「治療はもう止めよう」という結論に至った。

その後、スパッと子どもを諦めて子なし生活をエンジョイ!と、そうは問屋が卸さない。

子連れファミリーを見てメソメソしたり、同じ時期に治療していた友達が妊娠したのを素直に喜べず疎遠にしてしまったこともあったし、養子とか別の選択肢について夫婦で意見が合わず、お互いのために離婚したほうがいいのでは?と思ったこともあった。
また治療したほうがいいのかな?でも力が湧かない…とか悶々としたり、治療後に子なし生活を楽しむ人を探してロールモデルにしようとしたけど、やっぱりそんな風に割り切れないと苦しくなったり…それなりに色々あった。

だけど、あれから5年経った今、子なし生活をちゃんとエンジョイしている私がいる。

子どもや子育てを諦めたというよりは、子どものいない自分とか生活を受け入れた、が近いかもしれない。
今は、「私は子どものいない人生だったんだね」と思っている。そこに悲しみとか残念さも感じない。

子どもがいないことで何か欠けているとも思わないし、子どもがいてもいなくても人生やることはたくさんあるし、行きたいところもある。
自分の子どもではなくても、姪っ子や甥っ子や友達の子たちを可愛がることはいくらでもできるし。人じゃないけど、犬を育てることから学ぶことも多い。

子どもを産めないと女としてダメだとか、子育てのない人生は幸せじゃないとか、誰にも言われていないのにあの頃の自分が一番そう思っていたんだな、と今ならわかる。子どもがいる、いないは違いなだけなのに、優劣に変換していた。

クリスマスツリーを飾りながらそんなことを思い出したと夫に伝えたら、

「日にち薬だねえ。時間こそ最大の薬。」

と言っていた。ほんとそう。

あれだけ苦しかったのに、人間の自己治癒力はすごい。
あと、夫の見守り力の高さも薬だった。
私が自分を取り戻すのを年単位で待ってくれていたことには脱帽&心から感謝。
逆の立場だったら同じようには待てなかったかも。

私はこの経験があるので、この先何かでとんでもなく悩んだとしても、絶対に時が解決してくれることを知っている。強い!と思っている。

人間は誰でもこの薬が使える。
等しく与えられた時間という薬だから。
今何かで悩んでいる人もきっと大丈夫。


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