「夏と花火と私の死体」感想(ネタバレ有)

このお話は、語り手である9歳の女の子の五月が殺されるところから始まります。五月と、五月の友達の弥生は、二人とも弥生のお兄ちゃんである健の事が好きで、そのことを互いにカミングアウトしたことにより、五月が弥生に木から落とされて殺されてしまう。最初は五月が語り手で、殺されたところから語り手が変わると思いきや、そのまま死体の五月が語り手となり、弥生と健が五月の死体を隠そうと奔走するお話が展開していきます。

まず読んでいて私が思ったのは、健が怖いな、ということです。五月の死体を見ても一切取り乱すことなく、「五月ちゃん、死んでるじゃないか。」と言います。また、弥生がお母さんたちに知らせるのを嫌がった時、「死体を隠そう」と持ちかけたのも健ですし、その後も何度かバレそうになった時も冷静に対処していきます。一番怖かったのが、捜索隊に死体を発見されそうになった時に、自分の顔を石で殴り、血を流しながら捜索隊の前に現れて、注意を逸らしたところです。健もまだ11歳の男の子であり、五月ちゃんは事故死だと思っているかかわらず、死体を隠すことに対し何の躊躇もせずに挙句自分を犠牲にしてまで隠そうとするあたり、健がサイコパスなのではないかと思いました。

次に、死体が語り手となっていて面白いな、と思いました。これは解説でも書かれており、感想を書く際などにも一番着目されるところです。なぜ二番目にしたのかと言うと、私にはこれが死体目線というよりも、三人称視点であるように感じられたからです。一応、五月らしさが感じられる地の文ではあるのですが、あまりにも淡々と自分を隠そうとしている弥生と健とその周りの様子を語っているので、基本三人称視点、たまに五月視点、というように思いながら読んでいました。
しかし、心理描写は弥生のものが主で、健が何を考え、何を思っているのかはあまり書かれておらず、だからこそ健の怖さが引き立ってきたのかもしれません。ほかの登場人物に関しても、五月のお母さんなどは心理描写があり、他の人の描写は○○そうに、というような書き方がされており、五月がよく知っている人物の心理描写は細かく、よく知らない人物のものは推測する形になっているところが、芸が細かいな、と思いました。
三人称視点とも二人称視点とも言えないような地の文から、心地のよい気持ち悪さが感じられてとても面白かったです。

最後に五月と、誘拐事件で殺された子達が一緒に『かごめかごめ』をするシーンがあります。小説の一番最初に『かごめかごめ』の歌詞があり、初めの方に五月が「『かごめかごめ』がしたい。」と言い、弥生と五月の二人しかいなかったのでできなかったシーンがあるのですが、伏線回収がきちんとされていてよかったです。

全体を通して言い知れぬ気持ち悪さと怖さがあって、とても面白かったです。また、健サイドから見たお話や、緑さんが起こした誘拐事件についてのお話なども読みたいなと思いました。

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