やり残しという穴
スキお礼画像を作りたい。
マインスイーパーをPythonで作ってみたい。
英語を習得したい。
だがする余裕が無い。
時間においても体力においても無い。
僕というCPUのスペックが足りるかはやってみないとわからない。
今年、やり残すことのないようにと息巻いたものの、この季節になるとやはり終わらないでいる。
不甲斐ない自分を叱咤激励し、来年こそはと意を決す。
それが嫌いだ。
やり残したことだなんて思いたくはない。
たしかにこの1年を通して出来なかったという事実は変えられない。
ただ自分の頑張りが、さも不十分であったかのようなフィードバックはしたくない。
案外人間は脆いから、いいところに目をつけてやらないとすぐに悪循環に陥る。
出来なかったことのフィードバックに意味はない。
出来なかったことは出来たことが抜け落ちた穴だ。
穴ばかりを見ていてはそこに何があったのかわからない。
例え陳腐で低俗で非生産的なことをしてばかりいても、
素晴らしい業績を上げたとしても、
穴が空いているのは理想という嘘の鏡だ。
そんな幻惑にすがることのほうが自分に失礼。
やり残したことではなく、やり余ったこと。
余りを見るのは、後でいい。
スーパーで買ったワカサギの天ぷらを食べながらそう思った。
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