名作を読んでほしい。
中勘助さんの「銀の匙」を読んだことがあるだろうか。
先日に読んだ際に思ったのだが、
その冒頭にある銀の匙の記載を一読で理解できる人は今の世間の中で何割なのだろうか。
ではここで皆さんにも試していただきたい。
「それはさしわたし五分ぐらいの皿形の頭にわずかにそりをうった短い柄がついているので、分あつにできてるために柄のはしを指でもってみるとちょいと重いという感じがする。」
さて僕が何を言いたいかを理解いただけただろうか。
そう、時代による言葉の壁である。
最近ではあまり使われなくなってしまった言葉が使われてしまうことで、名作と呼ばれる作品の本質が伝わらなくなってしまうのは悲しいことだ。
梶井基次郎さんの「檸檬」もその例に漏れない。
僕の知っている本の中であれほどきれいな文章は数少ないと思う。
清流の上澄みをこしたような作品だ。
けれど、そういった作品は教科書の中くらいでしか読むことがないですよね。
音楽でいえばクラシックなどはまだまだ聞かれているのにも関わらず、
本などの文字を媒体とした芸術は原作が形を変えずに扱われることがほとんどない。
本好きとしてこれほど遺憾なことはない。
さて今回の文章の解説に移ろうと思う。
まず「さしわたし」という言葉。
意味は全長という意味である。
五分は1.5センチメートル。
1円玉の直径が2センチメートルなのでそれよりも小さい皿をイメージしてほしい。
「そりをうった」は「そった」、「分あつ」は「分厚く」と読み替えてもらって構わない。
つまりその銀の匙は全長1.5cmの皿で小さくそった柄のついた分厚い匙なのだろう。
かなりかわいい匙なのだ。
もっと多くの人に名作を読んでもらいたい。
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