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ブレハッチが来た! ~2024/2/25 ラファウ・ブレハッチピアノリサイタル~

※この記事は、長崎県在住の筆者がショパン国際ピアノコンクール優勝者のラファウ・ブレハッチの来日リサイタルに行った思い出を綴るものです。


今年最大の衝撃。長崎にブレハッチが来る!?


「ラファウ・ブレハッチが長崎に来る」。

2月の長崎は「長崎ランタンフェスティバル」に福山雅治と仲里依紗が登場したことで話題が持ちきりだったが、私にはそれをはるかに超える衝撃的な出来事があった。ラファウ・ブレハッチが長崎に来るというのである。

事の始まりは今年の2月上旬。福岡への映画遠征時に買った珈琲豆を実家に送り届け(珈琲の話は下記記事参照)、父親と談笑していたときだった。

私は新聞を購読していないので、実家に帰省したときは暇潰しに地元新聞を読むことが多い。その日も父親と話しながら、何か地元の面白いニュースがないかと何気なく新聞を広げていたところ、ふと「ブレハッチ 県内初リサイタル」の文字が目に入った。

その日の新聞記事。メモ代わりに写真撮影していた。

「(ふーん・・・・。ブレハッチが県内でリサイタルねぇ・・・。)」

「・・・え!!?? ブレハッチが長崎に来るの??? は?????」

一瞬、意味がわからなくて困惑した。


ラファウ・ブレハッチについて

「ブレハッチってそもそも誰?」という方に向けて簡単に紹介すると、彼はポーランド人のピアニストである。

私はクラシック音楽オタクというわけではなく、ただ子供の頃から15年ほどピアノを弾いていたというだけだが、それでも彼の名前はよく知っていた。なにせ私自身が色んな学生コンクールに挑戦していた時期に、世界最高峰のショパンコンクールで圧勝し話題になった人物なのである。


【ショパンコンクールについて】
・5年に1回だけ開催される、最も権威のあるピアノコンクールの一つ
・ポーランドで開催。同国の作曲家ショパンの様々な楽曲を弾いて争う
・(芸術の世界ではよくあることだが)「第1位:該当者なし」の年もある
・順位に関係なく、副賞として各ジャンルで最も優れた演奏をした出場者に
 「マズルカ賞」「ポロネーズ賞」「ソナタ賞」などが個別に贈られる
ブレハッチは2005年に地元ポーランドの出身者としては30年ぶりに優勝
・優勝するだけでなく、「全ての副賞」及び「聴衆賞」を一人で独占する
・「第2位:該当者なし」という同コンクール史上唯一の記録を打ち立てる


2005年当時、地元ポーランドからの優勝者としてニュースになっていたのを今でも覚えている。私はその数年後にピアノをやめてしまったのでその後のブレハッチのことは全く知らなかったが、そんな超一流のピアニストがなぜ日本の西の果てのど田舎にやって来るのか、まるで意味がわからなかった。


なぜ世界的ピアニストが長崎に?真相不明の謎


世界的ピアニストがわざわざ九州のド田舎に来る理由について、私の父は「歳を取って落ち目になったのではないか」と疑っていたが、調べてみてもそのような類の話はなく、ネットには日本の熱烈なファンの書き込みも多く見られた。昨年の2月にも来日公演を成功させているらしく、とても落ち目だとは思えない。

さらに、今回のブレハッチの公演日程について詳しく調べてみると、長崎に来る理由がますますわからなくなった。

【ラファウ・ブレハッチ 2024年来日公演日程】
2/17 場所:埼玉県 所沢市民文化センターアークホール(2,002人収容)
   主催:公益財団法人所沢市文化振興事業団
2/18 場所:大阪府 ザ・シンフォニーホール(1,704人収容)
   主催:ABCテレビ
2/20 場所:神奈川県 ミューザ川崎シンフォニーホール(1,997人収容)
   主催:神奈川芸術協会
2/22 場所:東京都 東京オペラシティコンサートホール(1,632人収容)
   主催:ジャパン・アーツ
2/25 場所:長崎県東彼杵郡時津町 とぎつカナリーホール(770人収容) 
   主催:時津町役場・時津町教育振興公社

一目瞭然だが、たった5回の公演のうち長崎を除く4日間はすべて首都圏近郊もしくは大阪で1500人以上を収容するホールでの開催。最終日だけ地方の、それも九州の西の果て・長崎で、他の半分以下の人数しか入らない小規模なホールでの演奏会となっていた。

加えて、彼の所属するドイツ・グラモフォンのHPを調べてみると、27日にはソウルでの演奏会が控えており、2024年は米国・フランス・ドイツ・カナダなど世界中で演奏会が予定されていた。落ち目どころか、第一線で活躍する演奏家なのである。

「・・・ホント、なんで長崎に来てくれるの???」

ここまで来ると本当に意味がわからない。ソウルへ行くついでに長崎へ立ち寄るくらいの感覚で来てくれるということなのか。またこうして開催場所と主催を並べてみると、長崎だけ主催が町役場というのも田舎丸出しな字面で場違い感が半端ない。というか自治体の主催としても県主催じゃないのか。ブレハッチを呼べる時津町凄いな。一体どんな裏技を使ったんだ。考えれば考えるほど、謎は深まるばかりだった。

※補足しておくと、時津町は長崎市に隣接するベッドタウンで、大型の商業施設などが多く県内では移住定住に人気の町。「とぎつカナリーホール」は県内施設の中では音響設備が抜群に良いことで有名なので、県内で室内楽やピアノリサイタルをやるなら最適の場所だと思う。


残り数席の状況で2階席の左端っこを確保


実家の両親によるとブレハッチの長崎公演は昨年11月頃から新聞・ラジオ・テレビで盛んに宣伝されていたそうだが、新聞にもテレビにも触れない私は実家でたまたま新聞を開くその瞬間まで全く知らなかった。気付いた時にはすでに公演2週間前。新聞広告されているのでまだ残席はあるのだろうが、すぐに全席埋まる可能性もあったので速攻でホールに電話で問い合わせた(※田舎のため、オンラインチケット販売など当然あるわけがない)。

残り数席でギリギリ余っていた2階席左側をなんとか確保。

ピアノ経験者としてはなるべく演奏者の手元が見える左側で見たい。急いでホールに電話してみると、残り数席だったものの幸い左側も1つだけ空いている席があったので迷わずチケットを購入した。2階席後方ではあるが元々小さなホールなので演奏者もそれなりに大きく見えるだろうし、音の響き、聞こえ方も決して悪くないはず。それから当日が楽しみで仕方なかった。


リサイタル当日。奇跡が起こる

妹のファインプレーでまさかの関係者席へ

こうして迎えたリサイタル当日。開演は14時からなので、朝から映画を2本(『劇場版ハイキュー!!ゴミ捨て場の決戦』『梟ーフクロウー』)鑑賞し、リサイタル会場へ向かう。50分前に着いたがすでに駐車場は車でごった返し状態だった。おそらく県外からも大勢の観客が来ているに違いない。

そんなとき、ふと母親からの着信が入った。リサイタル前に一体何だろうと出てみると、「良い席を買えたから席を交換しよう」というのである。

母によると、
①当日の朝になって、急に自分もリサイタルを聴きに行きたくなった
②映画鑑賞中の私に電話が繋がらないので、妹に頼んで会場へ問い合わせ
③妹が電話をかけたタイミングが良かったのか、「ちょうど関係者席が2つ
 空いたのでそちらをご案内します」
と言われ、母と妹の2人分を即決予約
④元々行きたがっていた私と母で席を交換しよう(母が代わりに2階席へ)

とのことだった。俄には信じられない奇跡が起こったのである。

2階席の後方から1階席のベストポジションへ。まさかの移動

県外からも観客が来てる人気のリサイタルなのに、なぜ当日朝からいきなり電話を入れた妹が関係者席を都合よくゲットできるんだ、奇跡にも程があると思わずにはいられなかったが(妹自身も「今年の運を全て使い切った」と苦笑い)、妹のファインプレーと母の気遣いに感謝するばかりだった。

前過ぎず後ろ過ぎず、通路そばで余裕があり、演奏者が丁度いい大きさで、両手やペダルの踏み方も綺麗に見える。まさにベストポジション。しかも、私の隣には長身の白人男性(演奏終了直後すぐに控室のほうへ向かった)が座ったのでガチの関係者席だったのだと思う。チケット購入時から楽しみにしていたが、この時点で興奮はピークへ達した。


リサイタル本番。「本物」の演奏に終始鳥肌


こうして最高の席で本番を迎えた。プログラムは以下の通り。

【第1部】
1.ショパン:ノクターン第15番 ヘ短調 Op.55-1
2.ショパン:4つのマズルカ Op.6
3.ショパン:ポロネーズ第7番 変イ長調 Op.61
  (「幻想ポロネーズ」)
4.ショパン:2つのポロネーズ イ短調・ハ短調 Op.40
  (ポロネーズ第3番「軍隊」、第4番)
5.ショパン:ポロネーズ第6番 変イ長調 Op.53「英雄」

【第2部】
6.ドビュッシー:ベルガマスク組曲
7.モーツァルト:ピアノ・ソナタ第11番 イ長調 K.331 「トルコ行進曲付」
8.シマノフスキ:12の変奏曲 Op.3

【アンコール】
9.ショパン:ワルツ第7番 嬰ハ短調 Op.64-2
10.ショパン:プレリュード第7番 イ長調 Op.28-7


最初はノクターン第15番で始まり、静寂に包まれた会場内に柔らかい弱音が響き渡る。ピアノを弾かなくなってだいぶ時間が経つ素人の私にも、巧みにコントロールされた音量と音色に「え、凄!」と思わず唸った。

私も現役のときはオーディションを勝ち抜いてカナリーホールの舞台の上で弾いたことがあるが、こんな音は絶対に出せない。当時の私はリヒテルやらギレリスやらの質実剛健なヴィルトゥオーソに憧れ力いっぱいに弾き殴っていたが、それとはあまりに対照的な演奏に酔いしれるばかりだった。

↑ 2曲目に弾いたマズルカの演奏動画を見つけた。昨年7月の公演時のもの。

首都圏での公演プログラムを見ると第2部も「葬送」ソナタなど全ての曲をショパンで占めていたようだが、田舎の長崎では大衆受けの良い「ベルガマスク組曲」「トルコ行進曲」を演奏。会場に慣れたのか、第2部から演奏の質がさらに上がったように感じたので、その状態で「葬送」ソナタや「幻想ポロネーズ」「英雄」ポロネーズを聴いてみたかった。

↑ 2005年にショパン国際コンクールで演奏した「英雄」ポロネーズ。長崎での演奏は雄々しさが完全になくなり終始音が透き通っているような優雅な演奏だった。動画の演奏のほうが私好みではあるが、「このタッチのまま「英雄」を最初から最後まで弾けるのか」と驚かされっぱなしだった。

現在公開中の映画『落下の解剖学』でショパンの前奏曲第4番を4手用に編曲したものが巧みに使われているので、当日のプログラム変更やアンコールで弾かれないかと密かに期待していたが、そのようなサプライズもなく終幕。アンコールはまたも大衆受けするワルツ第7番と前奏曲第7番で終わった。

前奏曲第7番は「太田胃散」のCM曲でお馴染みなので、弾き始めた瞬間から会場中で笑い声がこぼれていた。手短に終わって、かつ「もうこれで本当に最後の演奏ですよ」と示すにはうってつけの有名曲だと思う。


リサイタル終了後の母の感想に爆笑


こうして、2時間15分ほどのリサイタルがあっという間に終了。聞き入っている間にすぐ終わってしまう至福の時間だった。関係者席で見れた私や妹はもちろん、ピアノ未経験で2階席で聴いていた母も深い感銘を受けたらしく終わった後に開口一番、

「前川清のリサイタルに7,000円も払ったのが馬鹿みたい!!!」

と言い出して思わず爆笑してしまった。今回のブレハッチのリサイタルは、なんと全席6,000円だったのである。長崎が誇る大スターでローカル番組の大人気者・前川清には申し訳ないが、母の気持ちもわかる。九州のド田舎でたったの6,000円で聴いていいようなクオリティではなかった。

ブレハッチは来日公演を定期的に行っているようなので、またいつの日か、何かの間違いで長崎に来てくれないだろうかと期待を抱くが、滅多に起こることではないはずなので難しいだろう。家族3人(父も強引に連れてくればよかった)水入らずで最高の音楽体験を共有できるのも、たぶんこれが最後だと思う。また素敵な思い出ができて大満足の1日だった。

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