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才能の持ち方

他人様から「(あなたは)才能がある」と評価されれば気づくことが出来るかもしれないが、意識せずに普通に出来ていることだと自分自身の才能には気づきにくいものらしい。

才能は自分で「ある」と思えばあるし、ないと思えばたとえ才能をすでに持っていても感じられなくなってしまうものではないだろうか。

シェークスピアの名言
『世の中には幸福も不幸もない。ただ、考え方でどうにでもなるのだ。』

この名言にある「幸福」と同様に「才能」も考え方ひとつで持てると思う。
私は若い頃に作曲をするのが好きだった。
曲の出来の良さはともかく、作ることが出来た。
世にある素晴らしい曲と比較して私は「才能ない」とか「凡才だな」と思っていることが多かった。それでもたまに「いい曲が出来た!」「俺って天才か」と勘違いでもハイになることがあった。(時間が経つと自信が消えてしまうのだが)
一方、デザイン的な才能はあると思ったことがない。
デザインについてはそもそもアイデアが出てこないのだ。
音楽であれば、そんなに苦もなくアイデアが思い浮かぶのに、この差は何?
ある時に「もしかしてこれが才能ということか。」と腑に落ちた。

運動、芸術、仕事に関してなど才能にもいろいろあるが、才能のある人に嫉妬したり、羨んだり、自分には何も才能がないと感じてしまう人も多いと思う。
ただそれはハードルを上げ過ぎではないだろうか?
「プロになれるぐらいじゃないと」とか「ナンバー1にならないと才能があるとは言えない」と考えてしまったら、それは達成出来れば素晴らしいがとても難しい。

例えば分かりやすい文章を苦労しないで書ければそれは1つの才能だろう。
PC不調の対処や機械の修理が楽しめる才能がある人は近くにいて欲しい存在だ。
人の話を遮らずに聞くことが出来る人はお友達になりたいなと思う人が多くいるだろうからそれもある意味才能。
今ある残り物の食材から料理を作ることが出来るのもすごい才能。
趣味とかゲームなど、好きなことをずっと続けることが出来ていたら立派な才能。
なかには「どこでも眠れる」という才能を発揮出来る人もいるらしい。

Google辞書(Oxford Languages)によると「才能」とは「ある個人の素質や訓練によって発揮される、物事を成し遂げる力」と書いてあり、他人より優れているという意味ではない。

「(俺には)どうやら才能があるみたいぞ」と考えることが出来れば幸福にもなれるだろう。
そういえば何気ない日常で幸福を感じられたらそれは素敵な才能だ。

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