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# 023 とにかく仕組み化②責任と権限

 読書記録「とにかく仕組み化」(安藤広大著)の第2弾は「責任」と「権限」である。しかるべき「責任」を持たせる上で「権限」をしっかり与えることが大切である。

「いい権利」と「悪い権利」を分けているか?

 ある特定の人が「そんな話を聞いていない」と既得権益を生かして話をねじ曲げるようなことになっていないだろうか。以前の校長の時にこのようなことがあった。「教頭や教務などに相談して決めれば良い」という校長のお達しがあったにも関わらず、校長の思う形でないと校長に「俺は認めない。」と白紙に戻されたことがよくあった。この校長は、今までで最も理不尽な上司であったが、このような既得権益で全てをねじ曲げるような「悪い権利」があってはならない。
 一方、よい権利とは、特定の人に責任と権限を与えたら他の人が捻じ曲げるというようなことが起こらない組織(仕組み)である。「〇〇さんが許可したなら、それでよい。」というように明確な権限を与えられているものが「いい権利」である。

意思決定で「線引き」できているか?

 意思決定の場面でAにするのかBにするのか迷うことはある。その際、「Aの〇〇が良くて、Bの◎◎が良いな。だから、AもBも、、、、」となってしまうのはNGである。気持ちはわかる。しかし、最終の意思決定では、「Aにします。」と明確に意思表示ができるようになっていなければいけない。また、本書では主語を「私」にして「私が決めました。」とすることが大切だと書いてあった。主語を「私」にすることで意思決定の責任の所在を持てる上司の振る舞いが大切である。

「朝令暮改」を恐れていないか?

 業務を遂行する中で、「他のやり方がよい」と感じる時は、ルールを変えてよい。「周りにどう思われるか?」などと恐れることなく最良だと思う道を選ぶ必要がある。
 学校は、まさにこういった場面の多く残っている。明確なルールややり方が必要になる一方で、相手が子供(人)であるため、過去の〇〇が通用しないこともある。そういった時に、柔軟に対応する必要がある。しかし、ここで気をつけないといけないのが「ここだけのルール」を持ち出し、例外のルールを作ってしまうことだ。変更する際には、明文化し、共通理解を図る必要がある。

「権限」を与えているか?

「何をしなけれいけないか」「そのために何をやっていいか」を明文化して伝える必要がある。「自分の動ける範囲」を明示しておくのである。これは、普段の授業でも当てはまると感じた。今、どのような課題に向かっているのか、そのためにどのような手段をとっていいのかを子ども一人一人がわかっている状況を作らなくてはいけない。
 日常の仕事も同じである。与えられた分掌では「何をすべきか」そして、「どのような手段を使って良いか」意識して仕事に取り組めるようにしたい。

まとめ

 責任と権限はセットである。道徳の授業で「自由」について考えるとき、いつも「自由」には「責任」が伴う、というような話になる。その通りだが、今後はここに「責任」と「権限」がセットであることも意識していきたい。
 自由と責任、そして権限が正しく与えられると仕事も教育もより充実したものになる。

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