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砂粒で人生を埋めないために

朝、散歩から帰ってきて真っ先にやることは、
靴を洗うことである。

靴を洗うようになったきっかけ。
ある時から、靴の中に砂が入るようになった。
どこから入ってくるんだろう?と不思議に思い靴を点検したところ、
中敷の親指のあたりがすり減って小さな穴が空いていた。
そこから砂が靴の中に入り込んできていたというわけだ。
中敷に穴が空くくらいだから、
靴底の溝はほとんどすり減ってなくなっていた。
こんな靴で歩いていたら、いつかきっと滑って転んでしまう。
そう危惧した私は、その日から毎日靴を洗って状態を点検するようになった。
あともう一つ、今日も安全に歩くことができたと、
泥や砂を洗い落とすことで、靴に感謝の意を表している。

雨が降った翌日は、決まって靴底の溝に小さな小さな砂粒が入り込んでくる。
それはそれは小さな砂粒で、手やたわしで取ることはできない。
クリップの先を折り曲げて、尖った部分で溝を撫でるようにすると
小さな砂粒を一粒残らず取り切ることができる。

小さなものほど、取りにくいところへ入り込んでくる。
靴底を洗いながら、ふとその小さな砂粒が、
人生の取るに足らない些末な事象と重なった。
とても小さな粒のため、取っても取らなくても別に大した差はないように思いがちである。
けれども、靴底の砂粒をそのまま放置してしまうと、
砂粒が車輪のようにくるくると回り、滑って転ぶ元になってしまう。
奥歯に挟まったものを放置すると、虫歯になってしまうように。

また私たちは、この砂粒のような些細な物事で、
人生の器を埋めてしまいがちである。
ひとりひとりが持っている人生の器は、
元々入れられる容量が決まっていて、
大きな石を最優先にして入れなければならない。
大きな石とは、我が人生において成し遂げるべき業であり、
言い換えれば「生きがい」のことである。

取るに足らない小さな砂は、決してやる必要のないことである場合がほとんどだ。
私たちはつい、石の大きさなんてどうでもいい、
器がいっぱいになりさえすればいい、と言わんばかりに、
人生を些末なことで埋め尽くしてしまいがちである。
けれども、日々繰り返される「取るに足らない小さな砂」で人生の器を埋めてしまうと、
本来入れるべき「生きがいの大きな石」を入れるスペースがなくなってしまう。

だから、靴底の砂粒を一つ一つ丁寧に粉削ぎ落とすように、
しなくてもいい取るに足らないことで一日を埋め尽くしてしまってはいないかと
点検して、余計なことは削ぎ落としていかなければならない。
この砂粒を取り去らなければ、
本来成すべき「生きがいの大きな石」を入れることは永遠にできない。

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