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手を見て感慨に耽る

キーボードで文字を入力する自分の手に、ふと目をやった。
私の手は人よりすこしだけ小さい。
なのにせっせとよく動くなぁと、あらためて感心する。

数年前にミニマリズムの精神に目覚めてから、
道具を使わず、手で行うことが増えた。
朝起きて歯磨きをした後、コップの水でうがいをする。
不要なものを徹底的に排除しているときに、
うがい用のコップは要らないんじゃないかと気づいた。
うがいをするための水は手で掬う。
手が十分にコップの役目を果たしてくれる。
洗面所で朝の支度を終えた後、
モップで埃やゴミや落ちた髪の毛を集めていたが、
まず、モップを交換する作業が面倒だ。
そして毎回交換するのは勿体無い気がして、
モップからゴミや埃を払い落としたり裏返したりしながら、何度も使う。
ある日、いよいよ使い倒した最後の一枚を捨てた後、
買い置きをし忘れていたことに気づき、ふと手でゴミを集めてみた。
なぁんだ、十分いけるじゃないか。
朝っぱらから洗面所に這いつくばっている姿は
とてもじゃないけど人様にお見せできたものじゃないが、
ま、誰も見てないし、問題ないか!
そして、拾い集めたゴミを落ちないようにそっと両手でくるんで
ゴミ箱まで持っていくこの手を、とても愛おしいと思う。
ある時は、ピアノの鍵盤を押したり滑らせたりしながら、
美しい音色を奏でたりもする。

手というのは、本当にいろんなことをやってのける。
この「手」というものを使いこなして、人類は進化してきた。
手から道具を作り出して文明を起こしてきた。
アイデアが浮かばない時も、
手を動かしていれば、何か閃いたりする。

若い頃は、ネイルをしたり指輪をしたりして
自分の手を飾ってきた。
でも、今はもうやめた。
何もしなくても、爪はよくみると桜貝のようだし、
年々皺の増えていく手も、それはそれで味がある。
見た目を華やかにすることよりも、
いろいろなことをやりやすいように素手でスタンバイしておくことの方が、
今の私は、好きなのだ。

一日の終わりに、爪を切り揃え、
良い香りのハンドクリームをたっぷりと贅沢に塗り込む。
これがせめてもの、自分の手への感謝と労りの気持ちだ。

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