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③死ぬと騒いで足を引っ張る毒母

ストレスの吐け口

20代の頃、家を出て同棲してた。
ガッチリ洗脳状態ではあったけど、若かったのでその人と一緒にいたい気持ちが上回った。
結婚とかは何も考えてなかった。ただ一緒にいたかった。

それなりに楽しく生活してたんだけど、私が家を出た途端に母親が病気になった。糖尿病。
毎日甘いものをバクバク食べた、と後から母親が言っていた。

私が家を出て、父親の愚痴を言う相手がいなくなった。
弟はまだ家にいたけどほとんど家にはいなかったし、母親も息子は大事。愚痴なんて言わない。
八つ当たりする相手も、悪口や愚痴を聞いてくれる相手もいなくなった。

ストレスの吐け口がなくなった母親は、自暴自棄になってヤケクソで毎日チョコレートをバクバク食べたんだと思う。

プライドだけ高くて見栄っ張りな母親は、友達もいない。話せるのは自分の兄弟だけ。
自分の兄弟に八つ当たりするわけにはいかないから、私が家を出て矛先がなくなった。

死ぬと騒いで注目を集める毒母

糖尿病になって「もう死ぬからいいねん」とか、「ほっといてくれ」といって病院には行かなかった。

楽しく同棲してた私が母親に会った時、体重が30キロ代に落ちて骨と皮だけになっていた。

連れて行こうとしても、病院には行かない。
死ぬからええねん。の一点張り。
元々とにかく強情で、人の言うことに耳を貸さない人だし、それなら別にいいやと思ってた。
洗脳されていても、母親に対して不信感は持っていたし愛情もないので、生きていて欲しいとかは全く思わなかった。

死ぬならそれでいいと思ってた。
そのまま死んでくれてたら良かったのに。

そうなっても父親は無関心。
「病院行けや。」で終わり。

母親は末っ子でかまってちゃんなので、父親がそんなだから余計に強情になった。
自分に優しくない、注目してくれない、大事にしてくれない旦那に対してのあてつけ。
家を出て楽しんでる娘へのあてつけ。

それだけで、死ぬから死ぬからと騒いだ。

実家に戻った理由

その後なんとなく同棲相手と別れた私は、一人暮らしをしようと思ってたんだけど、母親から寂しそうに「戻ってきたら?」と言われた。

ほんとは戻りたくない。
でもガリガリに痩せて死ぬ直前の母親に言われたら、戻った方がいいんだろうな…と戻ってしまった。


最後は見かねた母親の姉が、強引に引っ張って病院に連れて行った。
即刻入院になって、それから半年間入院した。

その時に、その伯母に言われた言葉。
「あんたら死ぬの待ってるんか!」

死ぬの待ってるんかって、そうだよ。待ってんだよ。って言いたいけど、そうは言えず。

その時の母親の言葉。
「しょうがないから、もう少し生きさせてもらうわ」
その伯母に怒られる私達を眺めてニヤニヤ笑いながら、のたまった。

それから20年、母親はまだ生きている。
もう少し、っていつまでだ。長い。

母親をほっといたらダメなんだ。
私がそばにいないとダメなんだ。


心の中って複雑だ。
死んだっていいと思ってたのに、それが罪悪感にもなって、そこから返って強くそういう気持ちになってしまった。

そこから結婚もせずずっと母親のそばにいて、一緒に出かけたり遊びに行ったり。
ひたすら母親に尽くして、母親の枠の中で生きることになった。

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