見出し画像

寒い日本を脱出してベトナムでワーケーションしてみた@ニャチャン:(韓国タウン編)

今、私はベトナム南部のビーチリゾートのニャチャン(Nha Trang)という街で、極寒の日本を離れて、約一カ月のロングステイをしながらリモートワークをしています。
今回は、そんなニャチャンの街でやたらに目立つ韓国人とロシア人について連続で紹介してみたいと思います。最初は韓国編です。

韓国人のハワイ

ニャチャンというかベトナム全般に言えることですが、「韓国タウン」と化しています。とにかくベトナムは韓国人が目立ちます。ベトナムに行ったことがある人の中には、なんでこんなに韓国人が多いのか不思議に思った人も多いかもしれません。
元々東南アジアで一足先に発展したマレーシアやタイでは、圧倒的に日本企業が存在感を放っていました。
それに対して韓国は、日本企業があまり進出していない”ニッチ”な国を狙って進出する傾向が以前からありました。欧州なら、英独仏は避けて、東欧のポーランドやチェコなどに以前から盛んに進出していました。
ベトナムに関しても、韓国企業は日本企業が中国とタイに盛んに進出している間を縫ってベトナムに以前から進出してきていました。特にハノイ近郊にスマホで有名なサムスン電気がスマホの巨大工場を建設して以来、韓国企業のベトナム進出が加速しています。

ホテルの周りは韓国系コンビニだらけ

ソウルから直行便が一日に10便

ニャチャンでも韓国企業の姿が目立ちます。ニャチャンの玄関であるカムラン国際空港には、大韓航空やジンエアーなど韓国の航空会社六社が、ソウルやプサンから直行便を飛ばしています。その数一日10便以上です。LCCが多いので一便150人程度としても、一日に1000人以上の韓国人がニャチャンを訪れていることになります。ものすごい数です。そしてソウルだけでなくプサンや地方都市の大邱などからも直行便が飛んでいます。ちなみに日本からニャチャンへの直行便はありません。
またビーチ沿いのショッピングモールには、大きなロッテーマートも入っています。
日本にいるとあまり意識しないかもしれませんが、最近の東南アジアでの韓国の存在感の大きさは驚くべきものがあります。私も店に入るとまず韓国人に間違えられます。街を歩いても日本人の姿は殆ど見かけません。マッサージの呼び込みは「アンニョンハセヨ」と呼び掛けてきます。

韓国人が多いとリーズナブルになる

日本人の中には、韓国人を毛嫌いする人もいるようですが、私は逆に気に入っています。韓国人は日本人と比べると自己主張が激しくてアグレッシブです。自分たちが納得できない場合は、徹底的に文句を言って闘う傾向があります。そのため韓国人の多い町は、例えばレストランやマッサージなどの値段がリーズナブルである傾向があるように感じます。

レストランもハングルのメニューはあるが日本語メニューはなし

格差社会で海外進出が盛ん

韓国人が海外進出に意欲的なことには別の背景もあるようです。韓国は日本以上に格差社会で、トップクラスの学歴やコネがない場合、底辺の労働を強いられることが多いようです。また不動産も高騰しており、普通に働いていては、家を買うのが困難なようです。
そのため特に兵役を終えた後に海外移住をして一旗揚げようとするようとする韓国人が多くみられるようです。
ベトナムやフィリピンなどは、現地の人件費が激安のため、韓国人にとって有力な進出先となっているようです。軍隊で知り合った仲間数人が資金を出しあって観光地のマッサージやバーのオーナーになるケースが多くみられるようです。

東南アジアの若者をK-POPが席巻

日本でもBTSなどのK-POPやイカゲームなどの韓国ドラマが大人気ですが、東南アジアでも事情は同じです。タイでもフィリピンでもベトナムでも若者に今一番人気なのは韓国です。
もちろん日本のマンガやアニメの人気もありますが、少なくともティーンエイジャーの聞く音楽はK-POP一色です。ショッピングモールでかかっている音楽もK-POPかK-POP調のものばかりです。

ベトナム戦争と韓国

韓国人で溢れかえり、K-POPが大人気のベトナムですが、その関係には複雑なものがあります。ちょうど日韓関係や日中関係と同じような、ベトナムと韓国の間にも、解決が困難な過去の歴史問題が横たわっています。

ベトナムと聞くと未だに”ベトナム戦争”を思い浮かべる人も多いかもしれません。特に50歳代以上の日本人にとっては、未だに戦争のイメージが強いようです。
そのベトナム戦争ですが、韓国との間で浅からぬ縁があります。実はベトナム戦争中に、韓国はアメリカからの要請に応えてピーク時に5万人以上(のべ32万人)の韓国軍をベトナム戦争に派遣しています。特に有名なのが”白馬(ホワイトホース)師団”と”トラ(タイガー)師団”と呼ばれる陸軍部隊と”青龍部隊(ブルードラゴン)”と呼ばれる海兵隊のエリート部隊です。また”ブラックベレー”と呼ばれる韓国版の特殊部隊もベトナム戦争に参戦しています。
その韓国軍の母体は、実は戦前の日本陸軍です。創設当時の韓国軍の将校や下士官のほとんどが戦前の旧日本軍の出身でした。そのためか韓国軍は規律が厳しく、ベトナム戦争中も勇猛果敢な戦いぶりが有名でした。アメリカ軍の軍人が韓国軍の陣地では靴を脱いで寝られたという逸話があったぐらいだそうです。勇敢なベトコンでさえ韓国軍と戦うことを避けたといわれているぐらいでした。

韓国軍によるベトナム人虐殺

一方で、韓国軍による残虐行為の噂も絶えませんでした。ベトナムに派遣された韓国軍は、たびたびベトナムの農村地帯で民間人の虐殺事件を起こしていたそうです。

韓国軍は、朝鮮戦争とその後に、韓国国内に潜伏している北朝鮮のゲリラ狩りやスパイ狩りの豊富な経験がありました。その手法は旧日本軍も真っ青の残虐さだったそうです。そして、その対北朝鮮のゲリラ狩りの戦術をそのままベトナムに持ち込んだそうです。

当初ベトナムに駐留する米軍の中には、拷問や虐殺を多用する韓国軍の手法に批判的な軍人も多かったようです。しかし、この韓国軍のゲリラ狩りの戦術は大きな効果をあげたことから、その後アメリカ軍やCIAが真似をするようになったという話まであります。特にメコンデルタでCIAが実施した悪名高いフェニックス作戦と呼ばれるベトコン狩り作戦は、韓国軍の作戦を参考にしたとの話まであります。

後の韓国大統領

そんなベトナム派遣軍の指揮官だったのが、後に大統領になる全斗煥と盧泰愚という二人の軍人大統領です。

韓国軍がベトナムで残虐行為を繰り返した原因の一つとして噂されているのが、米軍が当時採用していたカウントシステムです。神童と称されたマクナマラ国防長官の下、ベトナム戦争でアメリカ軍は、殺したベトコンの数で戦果を測定していました。これはマクナマラ長官の前職であるフォード自動車の科学的経営手法から導入されたものだそうです。今風に言えばMBAです。MBA的手法でゲリラ戦争に勝利しようとしたのです。

しかし最近問題になったビックモーターのように、こういう数による成果主義、ノルマのようなものを採用すると現場が暴走しがちです。また韓国軍に対しても殺したベトコンの数に応じて、アメリカから報奨金が支払われていたようです。報奨金を支払う際には、証拠として倒したベトコンの耳や鼻を切り取ったものを提出するように要求したこともあったようなのです。
結果、一部の韓国軍部隊が報奨金目当てで、またはノルマを達成するために、無実のベトナム人農民を虐殺するという事態が起きたとの噂があります。
一方でベトナムに派遣された韓国軍の多くが、枯葉剤が散布されたジャングルで活動させられたそうです。その結果、にベトナムに派遣された韓国軍人の中からは、後に枯葉剤の後遺症に苦しむ人間が多数出ているそうです。

現代建設にサムソン建設

https://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/hermes/ir/re/5620/kenkyu0270200010.pdf

そんな中、韓国軍のベトナム派兵の見返りでしょうか、ベトナム戦争中に韓国の建設会社、ゼネコンが、ベトナムでの米軍基地建設で多額の利益を上げています。韓国のゼネコンは、他国の企業が危険すぎるとしてしり込みする危険な現場でも構わず仕事を受注していたそうです。
そんな韓国ゼネコンの中の代表格が、のちの現代グループの中核をなす現代建設です。現代グループは、この戦争で得た利益をもとに、その後業容を拡大し、造船や世界的に有名な自動車産業にも進出したそうです。サムスンなど他の韓国財閥も飛躍のきっかけはベトナムでの米軍からの請負事業です。
またこの時の現代建設の社長が、後のソウル市長で大統領に上り詰める李明博大統領です。
日本もそうですが、韓国もベトナム戦争関連ビジネスで多額の利益を揚げ、後の急激な経済発展の礎を築いたそうです。

韓国版従軍慰安婦問題

日本と韓国は長年に渡って所謂「従軍慰安婦」と徴用工問題で揉めています。実は同じような問題が韓国とベトナムの間にあるそうです。ベトナム戦争中に従軍した韓国人の軍人たちは、当然のごとく現地の女性と関係を持つようになります。当然ながら、韓国軍相手に慰安婦のような仕事をするベトナム人女性が多数いたことも想像に難くありません。そんな中、韓国人とベトナム人の間に子供が生まれるケースも多かったようです。そして、その子供たちは、ベトナムに孤児として置き去りにされました。同じような例として、アメリカ軍人とベトナム人女性との間に生まれた孤児も長年問題になっていました。

実利を取るベトナム

過去を振り返るとベトナムと韓国の間には、ちょうど日本と中国、韓国との間にあるのと同じような複雑な関係が存在します。しかしベトナム政府は、悪戯に過去を持ち出すこともなく、韓国との協力による経済発展という実利を取っています。2000年代初頭にハノイを訪問した当時の金大中韓国大統領は、ベトナム戦争中の韓国軍の行為に関して「過去の不幸な時期」に「遺憾の意」を表明しましたが、ベトナムが特に追及することもなかったようです。
またベトナム戦争終結から既に50年近くたっていることから、ベトナムの若者の中には、そもそも「ベトナム戦争をあまり知らない」人も多いようです。街には、サムスンや現代などの韓国製品があふれかえり、ショッピングモールでは、K-POPがどこでもかかっています。
ニャチャンでよく見かける韓国人も過去の暗い歴史を気にしている様子はありません。
ちょうど日本人がハワイを訪れても真珠湾攻撃が話題になることが少ないのと同じかもしれません。

ということで、ニャチャンの街は韓国人で今日も溢れかえっています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?