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定年世代は、第二の青春時代

何歳になっても開運の努力をして、最後まで生きる意味のある人生を送った人は、定年世代を第二の青春時代のように過ごしています。

例えば、安藤百福翁は61歳で究極の加工食品と言われるカップヌードルを開発し、97歳まで長生きしました。

「時計の針は、時間を刻んでいるのではない。自分の命を刻んでいるのです」の名言を残しています。50~60代に青春時代のような情熱で走り回り、最後まで開運の努力をした祝詞のような言葉です。

ところが、定年世代は、思い通りにならないことを自分は運が悪いからと思い込んでいます。

運は、人の力の及ばないところのものと辞書にあるので、多くの人は運を神様の専権物として諦めています。

幸運を、辞書では偶然の結果のものと定義し、人の努力に関係しないとしています。

人の努力はどう扱えば良いのでしょう。

開運は、運を開くと書くので、本人の努力が運に作用することです。辞書的には幸運の類義語でありません。
対義語は辞書にありませんが、運命が対義語にあたると解釈します。理由は、命は運によって運ばれると解釈できるからです。
定年世代にとって、運を他人に任せていては、子供や若者のように養育者がいませんので、ライフプランが立ちません。自分の責任にかかっています。
運を開く努力をすることこそが、生きる意味となります。
しかし、問題は定年世代の心にあります。長年働いてきた燃え尽き症候群に覆われ、自分を慰める自己愛を優先する自己中心的な習慣に取り憑かれています。図のように現すことができます。


例えば、職場で管理職を長年勤めていると、自分は大丈夫と思う安心感が働くことに加え、定年を意識すると自分がチャレンジすることを躊躇して、後進の部下や後輩に挑戦してもらおうとします。

また、自分で責任を負うことを回避する気持になって、考えることを辞めてしまうので、頭の中が暇になります。
 
暇になると、楽しみに直結する妄想や不倫などの悠々自適な生活で頭が満たされます。それに付き合ってくれるような暇な人がいないと、繋がる人がいないので孤独になります。
 
管理職に就いたこと、成功したことを自分の実力だと思い込んでいると、他人に対する感謝ができない傲慢な性格になるので、繋がりを失います。

傲慢な性格は、家事労働によって食事や洗濯作業を提供してくれることを当然のものとし、尊重しない人になりますので、近親者間ほど人間関係が悪化します。
空気や水をただと思う人は、人の住む環境を悪化させることに平気です。
 
働くことは、お金を得るための手段ですから、努力がお金に姿を変えて感謝の印として財貨になって戻ってきたものと考えます。すると、お金を手にすることで、自分の社会での存在を実感できますので生きる元気が出ます。
開運は人と繋がることから始まり、人によって運ばれて来ますので、繋がるスキルが新しいポジションを創ります。

ホモサピエンスが繁栄できた強みは、集団の大きさがネアンデルタール人を越えていたからとするのが通説です。
 
人に繋がる方角に開運の兆しがあるのです。

定年世代は、もの思いに耽る第二の青春時代として、開運の努力に取り掛かる歳です。
開運は、誰とでも繋がって、生きる意味を感じるポジションを得ることです。




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