連載小説 介護ごっこ(2)

「お母さん、そろそろ時間ですよ。行きましょうか」
 容子は鏡をのぞきこんでいる義母に声をかけた。
「はいよ」
 義母は白いバッグを斜めがけにして、スカートのすそをひるがえす。すたすたと歩く八十をとうに過ぎた義母の後ろ姿を見ていると、50そこそこで杖に頼る自分の体が恨めしくなる。白いエナメルのパンプスをはいた義母は、まだ靴もはいていない洋子の前で、ドンと玄関扉を閉めて外へ出てしまった。逆向きに脱いでいた靴をやっとこさそろえて、手すりを持ちながら靴をはき、杖を取って玄関を出ると、義母の姿は、すでに門の外にあった。背を向けて立つ義母のうなじから背にかけて、肌がひどく露出しているのが気になる。
 ドアに鍵をかけ、手すりを左手で持ち、右手で握った杖を支えにして、左足をゆっくりと下ろす。続いて右足。もう一段、左足、右足。ふうと一つ深呼吸して顔を上げると、顎を上げてぽかんとこちらを見ている義母と目が合った。細めた目元に、困ったような影ができている。
「ようちゃん、あんた家におんなさいや。転んで骨でも追ったらどないするの」
 そう言われても、こっちはバスに乗るのを見届けるまで安心できない。義母は何度か行き先を忘れて戻ってきたことがある。戻ってくるならまだいいが、最近、近所の家に上がり込んで、昼過ぎに送り届けてもらったことがあったのだ。
「ほれ、あたしの腕につかまりなさい」
 義母は、ちょうちん袖から出た肘をぐいと容子のほうへ突き出した。
「大丈夫です。後ろをついて行きますから、お母さん、先にどうぞ。今日、どこ行くか覚えてます?」
「覚えてるよ」
 義母はプイと背中を向けると、小股の速足になった。金色の短髪と黄色のドレスは、まぶしい日差しに負けてはいなかった。スタイルはよくないが、容子に対する当てつけではないかと思うほど姿勢がいい。認知症などには見えないばかりか、一緒に歩いていると、容子が介護されているように見えるかもしれない。
 義母は昔から、人が困っていると知れば、誰それ構わず手を差し伸べた。一方、人に助けてもらうことを嫌がった。踊りが好きで、日本舞踊やフラメンコ、フラダンスと一通り習ってきたが、社交ダンスだけは、男にリードされて踊るなんて、もってのほかと言って、見向きもしなかった。ちょうど20年前、結婚式を前に、新居さがしに苦戦していたさなか、義父が急に亡くなり、通夜や葬儀や所七日とあわただしくしているうちに、どういうわけか義母と同居することになっていたのだ。義母の性格を考えると、主婦は家に二人いらなかった。当然義母は譲らない。家も土地も義母の名義なのだ。そこで容子はすぐに、駅ビル内の漬物店のフルタイムパートに出るようになった。恵美が生まれて一歳になると、保育園に預けて、また仕事に戻った。当時、六十を越えていた義母には、家事に加えて保育園への送迎は、きつかっただろうと思う。だが、義母が弱音を吐いたのを聞いたことがなかった。何の見返りも求めず、義母は自分に与えられた義務であるかのように、それをこなした。
 夫の徹が、がんで亡くなったとき、恵美はまだ小学生だった。義母は一か月ほどふさぎ込んだが、その後、めざましい回復をとげた。家を改装し、カーテンを変え、髪の毛を金色に染めた。フラダンス教室に通い始めたのも、その頃からだった。あのときは、気丈な義母が、容子の心の支えになっていたのは間違いない。
 義母が前方の車道を左へ折れるのが見えた。容子がその角まで来て、道路の先を見ると、20メートルほど先のバス停で、義母はもう、バスを待つ人の中に、話し相手を見つけていた。
 バスが着いて義母が乗り込む。先に自転車で出かけた恵美が、駅で義母を待ち、阪神文化センターの建物に入るのを見届けてから、バイト先に向かうという段取りになっている。

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