土瓶のふた(1)

 空気が固い。息が詰まる。初枝さんが食器棚からカップを取り出し、扉を閉めた。金属のスプーンが触れ合う。スプーンが陶器の皿に置かれる。あらゆる音が輪郭を持っている。ひりひりした静かさに、何か言えとせかされて、私は重い口を開いた。
「お手伝いしましょうか?」と。答えはなかった。陳腐な響きが、寒々とした室内に拡散した。
 初枝さんは、カップをのせた盆をテーブルに置くと、
「ここ、暗いね」と言って、壁のスイッチを探り当てた。全盲の初枝さんにも、明かりが必要なのだろうか? ほの白く照らされた食卓の隅には、ポンプ式のポットときゅうす、湯飲み、インスタントコーヒーの瓶が置かれ、もう一方の隅には、大小さまざまな郵便物がまとめられて、土瓶のふたで重しをされていた。
「じゃ、お願いします」
 初枝さんが言った。私は、コーヒーの粉をスプーンですくって、カップに入れた。職員室の隅の給湯所で、校長から声をかけられたのも、このタイミングだった。
 私は新任以来7年間住んでいた教員寮を出ようと思い、部屋捜しを始めたばかりだった。当初は、一部屋おき程度には人が住んでいたのだが、築40年のぼろ長屋では、出ていく人はあっても、入ってくる人はなく、とうとう同期で入居した男性と二人きりになってしまうと、さすがに尻に火がついた。休憩時間に、スマホで物件を検索しながら、何の気なしに周囲の同僚にもらした家探しのことが、なぜか校長の耳に入った。その日の昼休みに、私は校長室に呼ばれて、離れを無償で提供するという一人暮らしの老人がいると知らされた。それが中林初枝さんだった。
 母が4年前に亡くなり、その翌年に姉が結婚して家を出てから、実家には父が一人で住んでいた。定年を迎えた職場で、嘱託として再任用された直後、父は脳梗塞を起こし、救急搬送された。処置が早かったおかげで、杖を使えば自力歩行ができるまでに回復したが、仕事への復帰は、望めそうになかった。その後、実家の住宅ローンが、私の稼ぎから差し引かれることになった。当然、生活はゆとりを失った。そこに、この話だ。願ってもないことだった。この辺だと、ワンルームでも5万は下らない。それが丸々浮くのだ。幸運をかみしめながら、うつむき加減に思案するふりをしたが、校長の次の言葉で、背筋が伸びた。
「実は中林さんは全盲でね。一人暮らしが不安なんだと思うよ。あなたが離れに住んであげたら、そりゃ心強いよ。考えてみてあげてよ。教育に携わる者としては、すごくいい経験だと思うな」
 校長はしたり顔で言った。私は即答を避けた。家主の事情はともかく、校長の善良そうなもの言いが、いとわしかったのだ。だが、少し考えさせてほしいと言って席を立とうとしたとき、校長は、家主の住所と電話番号が書かれた紙を出してきて、すでに中林さんを訪問する段取りがついていると言うのだった。
 カップに湯を注いでいると、突然、紙を裂く音がした。手元から視線を移すと、初枝さんが破いた封筒をくず入れに入れるところだった。土瓶のふたは脇へどかされて、よく似た黒褐色のテーブルになじんでいた。のり付けされたままの次の一通を取ると、初枝さんはそれを一思いに裂いた。まとわりつく何かをかなぐり捨てるように、次々に破っては、くず入れに落とす。
「あの……、中を見なくていいですか?」
 軽はずみに口にした私の言葉を初枝さんは「ふふん」と鼻であしらうと、
「こういう分厚いものはね、たいてい広告とかパンフレットなのよ」と言った。

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