【アイマスSS】千早「……‟幸せな夢を見る呪い″、ですか?」

 ――目の前で、幼い女の子が救いを求めるような、か細い声ですすり泣いている。
 その子に手を差し伸べようとして、目が覚めた。

「千早……?」

 その女の子は、千早だった。
 上半身だけ起こし、露わになっていた肢体をシーツで隠したまま、両手で顔を覆い、静かな嗚咽を漏らしている。

「! ……すみません。起こしてしまったようですね」

 僕の様子に気づくと、気まずそうな声色で慌てたように、目元をぬぐった。

「いや、それはいいんだけど」

 と、千早の顔を覗き込み、目尻でまだ膨らみかけたまま残っていた水滴を拭いさる。

「悪い夢でもみた?」

 千早は大きなため息をつく。
 悪い夢なら、どれほどよかったでしょうか、と。
 潤んだ瞳から雫が、またひとつ、零れた。

「……悪い夢どころか、とても、幸せな夢でした。
 家族の夢です。
 そのなかでは私はまだ幼くて、両親も、仲が良いままで。
 2人に可愛がられながら私は、お絵かきをして、ご飯を食べて、お歌を歌います。
 私は楽しくて、うれしくて、幸せでした。
 ……しあわせと、思ってしまったんです」

 ――優が居ないのに。

 消え入りそうな声で放たれたそれは、他ならぬ千早自身をひどく打ちのめした。
 傷だらけの躰(からだ)へ自ら鞭を振り下ろしたように声をあげながら、悲痛な表情で顔を覆う。

「私の幸福を体現したようなあの夢のなかに、優は居ませんでした!
 疑問にすら思わなかった!
 姿も声も記憶も! 何もかもありませんでした!!
 忘れるはず、ないのに。
 私だけは、絶対に忘れてはいけなかったのに……!!」

 息が尽きた指の隙間から一瞬だけ、救いを求めるような視線を感じた。
 けれど、そんなことは許されない、と言わんばかりに背中を向けてくる。

 僕は、なんだか腹が立ってきた。

「……ひどい話だな」

 千早の肩がビクリと跳ねる。
 白く小さな背中を丸めた彼女は、まるで大目玉を喰らってしょげる幼子のようだ。
 両肩の肩甲骨が、天使の羽のように浮かび上がってみえた。

 ……優くんか、誰のしわざかは、知らないけどさ。
 どうして、こんな天使を泣かせるんだ。

「すみませーー」

 言いかけた彼女を、強引に振り向かせる。
 驚き顔を上げた所で優しく髪をなでながら、絶望の言霊を吐き出すパンドラの箱を、僕の唇で塞いだ。
 ――水っぽい音がして、確かな感触と温かさが、ゆっくりと、2人の心へと響いていく気がした。
 ……なんて。響いてくれていると、いいんだけど。

 少なくともそれは、パンドラの箱を食い止めるには、十分だった。

「……プロデューサー……」

 さあ、最後の大仕事だ。
 僕は吐き出されたそれらを、『希望』へと変えなければならない。

「本当に、ひどい話だ。
 千早は、呪いをかけられたんだね。
 これはきっと、‟幸せな夢を見る呪い″、だ」

「……‟幸せな夢を見る呪い″、ですか?」

「そう。……その人にとっての”幸せ”ってやつを勝手に決めつけて、強制的に見させられる呪いなんじゃないかな。
 まったく。どこのどいつが、俺の千早に呪いをかけやがった?
 黒井社長か? 黒井なのか?
 やっぱりあのときコロしておけば良かったのか!?」

「や、やめてくださいプロデューサー! あのときって何ですか!?」

 あ、しまった口が滑った。……なーんちゃって。

「……もう、なんなんですか」

 千早が少しだけ、笑った。

「……それに。呪いなんか無かったとしても、さ」

 僕は、千早の左頬につたっていた涙の線を拭い去り、そのまま手の平で感触を楽しんだ。
 柔らかくて、すべすべで、温かいなぁ。
 されるがままの千早は、どこか、うれしそうで。

 ……ああ。僕は本当に、千早が好きなんだ。

「幸せの形は、1つじゃない。
 千早が、”両親の愛情を一身に受けた”その夢を、幸福ととるのは、間違いじゃないよ。
 それは誰もがみんな、当たり前に持っている感情だ」

「……そう、なんでしょうか……」

「”両親からの愛情を独り占めしたい”ことと、”優くんと一緒にいたい”、ということ。
 これらの感情は千早のなかで同居できているし、矛盾しないだろう?
 ただ千早は、その一面を覗いたに過ぎないと思うんだ」

「一面を……」

「それにさ。
 ……さっきから僕は、たいへん腹が立っているし、とっても悲しいんだけど」

「え――」

 僕は千早を、きつく抱きしめた。

「その”幸せな夢”とやらのなかに、僕が居ないじゃないか。
 こんなことってあるかよ、冗談じゃない!」

 千早は微かに笑って、抱き返してきた。

「……千早はさ。幸せじゃないのか? 僕といて」

「いいえ」

 向き直った視線の先には、すっかり顔の赤くなった千早のほほ笑みがあった。

「私は、しあわせです。
 ……貴方がいてくれたから、私は今、とっても幸せなんです」

 ――私に、幸せな呪いをかけてください。
 千早が耳元でささやく。

 僕たちはもう一度、くちびるを合わせる。
 パンドラの箱からはもう、希望しか出ない。


 ー了ー

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