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24歳の私と63歳の母(ステージ4の膵臓癌)のこれからの話

24歳の自分へ

今から書くことは妄想や小説ではなく、これから本当に起きること。

この手紙を見て

きっとキミは、少し前の、過去の自分を恨めしく思って嘆くと思う。

というより、実際に嘆いた話をしよう。


去年の7月のこと。


その年は3月ぐらいからすでに暑く感じ、
本格的な夏はおかしいぐらいに高温つづきだった。

そんな真夏日の仕事終わり、
同僚と寿退社した先輩のことを話して盛り上がっていた。
そんな時、キミのお姉さんからLINEが来る。

「仕事にならなくなるかもだけど、いいます。
母さんがステージ4の膵臓癌と診断されました。
今度、大学病院で検査入院します。」

おめでたい気持ちから、急変。
みぞうちあたりが、急激にグッとギューっとしめつけられた。

眩暈が起こりそうな気持ちを押し殺して、
なんとか職場を後にしたけれど、
心の中は「なんで?」「嘘だ」「何かの間違いであってくれ」
の繰り返しで、すぐに母さんに電話をした。

「もしもし、平日に電話なんか珍しいね。」
「母さん、癌なの?」
「誰から聞いたん?」
「姉ちゃんから」
「そっか…。そうなんよ、母さんもびっくりしとるんよ。
6月から食欲なかったけど、癌のせいとは全然思ってなかったけんさ。」

食欲がなくなっていたことは、電話してたから知っていた。
でもストレスと夏バテかなとかぐらいにしか
お互い思ってなかったのが甘かった。
普段から病気にならない母だからこそ、油断していたんだ。

ほんとは、少し期待していた。
「悪性じゃなくて、良性だったんよ。よかったわ。」
って言ってくれんかと。
願っていた。自分の母親だけ、助かってくれんかなと。

そんな世の中甘くないのな。

母は、すでにステージ4の膵臓癌で、
手術もできなければ、放射線治療もできず、
抗がん剤しかできないと診断されていた。

目の前が真っ暗になって、足元がぐらぐらして、
涙が止まらんかった。

思わず母さんに、
「母さん、何か悪いことしたん?」
って聞いてしまったけど、母さんのセリフだよね。

家に着いて、電話を切っても、
どうしたらいいか分からず、泣いた。

地元に戻る?とか仕事辞める?とか
いろいろ浮かび上がる
「これからのこと」について
答えを出せるはずがなく、その夜は泣き疲れて眠ったんだと思う。

その日から自分を責める日々が、
嘆く日々が始まった。

母の見た目の変化を「老けたな」で片付けていた過去の自分を。

人間ドックや、健康診断をそろそろ受けようって言わなかった自分を。

なんでもっと早く気づかんかったんかって、たくさん責めて、キミをたくさん責めました。

ごめんなさい。

今ある現実から逃げたくて

「過去をやり直せたら、あの時こうだったら」

そうやって、何度も何度も何度も、
都合のいい妄想を繰り返して
変わらない現実から目を逸らしていた。

母を思うたび、「まだ待ってよ」と人智を超えた何かにすがっていました。

待ってよ、早すぎるよ。いろんなところへ母さんと行きたいのに。まだ一緒にいてほしいのに。いかないで。いかないでよ。

その感覚はまるで幼稚園ぐらいの自分に戻ったような気分で。

甘えるのが苦手だったあの頃の自分が顔を出して拗ねているようで、いじらしくて抱きしめてあげたかった。

ネットで膵臓癌を調べることが怖かった。
あとどれくらい生きれるのか、確率なんか知りたくなかった。

あの時の私は、現実なんて知りたくなかったんだ。今すぐ悲しみから逃げて、この世から消えてしまいたかった。

大好きな母が死ぬとこなんて見れやしないと思っていたからね。

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こんな、こんな話をいくつか、キミに残します。
記憶がどんどん薄れていくのを知っているから。

悲しみや絶望感に襲われただけじゃない。
楽しい話や悔しい話、笑い話、食べ物の話…
いろいろある。

キミがこれから直面することは、想像以上のことばかりだ。
でも大丈夫。
今はちゃんと眠れている。
いつかちゃんと眠れるようになる。

また手紙を書きます。

1年後のワタシからキミへ

#手紙 #母 #膵臓癌 #ステージ4 #若者ケアラー #エッセイ  

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