経営状態は食事にあらわれる

 みなさんの昼食はどのような形態ですか?
お昼ごはんを楽しみにしている人は、午前11時頃になると早くランチタイムが来ないかなと待ち遠しく感じますよね?
 今日はお弁当にしようか、それとも外へ食べに行こうかと迷ったり外食に出た時もラーメンもいいけど、たまにはハンバーガーやサンドイッチにしようかと悩んでしまいますね。

 わたしが高卒で就職した工場は、リーマンショックの業績悪化に伴って大々的な経費削減が実施されたとき、会社の食堂が提供する昼食にまで影響が出ました。
 みなさんは覚えていますか?リーマンショックでホンダとトヨタが赤字に転落して、傘下の下請け企業がドミノ倒しのように倒産していったことを。
 当時の工場では車の部品を作ってトヨタとホンダに納めていましたが、リーマンショックが始まったときに突然、会社へ通達が来たのです。トヨタとホンダが現時点で抱えている大量の車の在庫がはけるまで、注文をストップして生産を大規模削減するとのこと。つまりそれは傘下の下請け企業の生産が全部まるごと停止することを意味していました。
 この生産停止通達に、本社の役員たちは頭を抱え、工場の幹部たちは走り回り、現場では古参のベテランたちが
「生産停止通達が来たんじゃ仕方あんべぇよ。止めんべぇ、止めんべぇ。」と、上層部の指示を待たずに生産ラインを止めてしまいました。
 とくにパートのおばちゃん達は
「こんな経験めったにできることじゃないからねぇ。騒いでも仕方ないでしょう。」
「そうね。騒いだところであたしたちにできることは何もないし。」
「まぁ、とりあえずお茶にしましょうか。」
 みんな休憩所や喫煙所へ集まると各々でお茶を淹れ始め、お茶菓子を持ち寄ってはおしゃべりに花を咲かせました。
 古き良き時代というのでしょうか。物事に対する割り切りが良いというのか、それともあきらめが早いというのか、おおらかで寛容な職場でした。

 生産停止通達を受け取った本社は、経費削減のために工場を含めた企業全体でいっせいに人員整理することを決定しました。

 リーマンショック前は1日の生産数が24時間フル回転で日勤と夜勤の2交代勤務でしたが、リーマンショック後の生産時間はわずか6時間に激減したため、まず最初に日系ブラジル派遣社員が全員解雇されました。
 残った日本人正社員は幹部階級の給料を2割カット、ボーナス3割カットが実行されました。そして仕事がなくなってヒマになった社員を総動員して、今まで忙しさを理由に会社の敷地内に放置していた大量の不用品の撤去と、不要設備を解体撤去して電気代削減につなげるなど、様々な節減対策が実施されました。
 この頃になると普段は工場なんて見向きもしなかった社長や専務が、ひんぱんに工場へ来ては
「我が社の余分な脂肪を落として、経営をスリム化する!」
と、繰り返し言っていたのを覚えています。その言葉通りに早期退職希望の募集が始まり・・・・・。
 (ほとんど強制的に実施したらしい。実施後は明らかに年功序列が崩れたと分かる人事異動だったし、本社の古い幹部クラスが何人もいなくなった。工場内でも部長席や課長席にしがみついていた年配の爺さんが係長クラスに降格されて、かわりに能力がある30~40代の若い人材が部長席や課長席に収まった。)

 リーマンショックから半年くらいは上記の節減対策で持ちこたえていましたが、100年に1度といわれた不景気にじわじわと追い詰められて少しずつ苦しくなっていきました。次年度の新卒採用が無くなり、スポーツ推薦枠も無くなり、会社のスポーツチームは大幅な予算削減をされて活動そのものが縮小されてしまいました。
 不景気の影響は一般社員にもおよび、最寄駅から工場までの送迎用マイクロバスも売り払われて、バスを利用していた人たちは駅から工場まで約2kmの距離を、雨でも雪でも歩いて通勤せねばならなくなりました。そして工場内の自動ドアの電源を切って手作りの持ち手を取り付けて、手動で開閉するドアとして使わせるようになったときは、経費削減もここまでやるかとみんなで大笑いしてしまいました。


 会社の経営状態がもっとも反映されたのは、食堂でした。
当時の食堂で出される昼食は2種類の定食と2種類の軽食があり、定食はその名のとおり主菜、副菜、ご飯、味噌汁、お茶で1食280円。軽食は蕎麦、うどん、ラーメンなどの日替わり麺類とカレーライスがあって、それぞれが1杯140円。もちろん安いからといって量が少ないということはなく、成人男性が1食分として食べる量が提供されて140円です。カレーライスと日替わり麺の両方を注文しても合計280円なので軽食は安くてうまくてボリュームがあると大人気でした。
 食べることは人間活動の根本であるという信念のもと、本社がけっこうな食費補助を出していたので、量と値段と質が保証された優秀な食堂でした。
 あの当時、一般的なラーメン屋の値段が1杯600~700円だったと記憶していますが、それを踏まえても280円で満腹になれるなんて本当にありがたいことですよね。


 さて、リーマンショックを受けてから半年後、最初は軽食のトッピングが貧相になりました。うどんや蕎麦に乗っていた厚揚げがなくなり、ラーメンに乗せる分厚いチャーシューもなくなり、かわりに缶詰のコーンや青菜など野菜ばかりになったのです。
 その次は定食の副菜でした。増えるワカメや切り干し大根の和え物、キクラゲをドレッシングで味付けしただけの明らかな手抜き品で、しかも連日、嵩増し系の乾物メニューが続きました。そしてついに味噌汁の具材にダイコンやカブの葉っぱまでも入るようになったとき、みんなタメ息とともに悟りました。とうとう食堂にも経費削減の波が押し寄せてきたと。

 軽食は140円→ 170円→ 200円と値上がりしていき、日替わり麺はラーメンでもうどんでもトッピングは増えるワカメだけ、カレーライスは肉無し野菜カレーになりました。
 しかしなぜか定食だけは値上げされなかったのです。食堂利用者は定食の値上げがないことにホッと胸をなでおろしましたが、それもすぐに残念な表情へと変わっていきました。なぜなら少しずつ定食の量が落ち、質が落ち、味が落ちて、280円にふさわしい食事内容になっていったからです。
  
 ある日、食堂の利用者から総務課へ、文句と空腹と嘆願が殺到する出来事が起きました。きっかけは定食の味噌汁です。
 もはや味噌汁とは呼べない、ダシすら入っていない味噌をお湯で溶いただけのものに、5mmほどに刻んだ大根の葉っぱが2~3本入っているだけの貧相な味噌汁を見た若手社員がぽつりとつぶやいたのです。
「俺、転職するわ。これならレトルトカレーのほうがマシだ。」
このつぶやき応えるように、彼の後ろにいた同僚が
「俺も医療系に転職しようかな。こんなの人間の食い物じゃねぇよ。」
と言ったのです。
 あのとき周囲がいっせいに重苦しい雰囲気になったのを覚えています。

 これをきっかけにパートのおばちゃんたちが集団で総務課へ駆け込みました。貧相な食事に対するおばちゃん達の主婦目線の抗議が殺到したかと思えば、独身の若手社員が何人も転職の相談に押し寄せるなど、対応に追われた総務課の疲労と胃痛と白髪変貌率が一気に跳ね上がったそうです。

 その後、パートのおばちゃんたちの抗議を受けて定食が450円に値上がりし、食事内容の改善が図られました。しかしさすがに450円では改善は無理だったらしく、さらに550円へ値上がりしましたがそれでも280円のときとあまり変わらなかったので半数以上の人が弁当を持参するようになりました。
 わたしも弁当持参に切り替えたので、食堂がどうなったのかその後のことは分かりません。

 リーマンショックから9ヶ月後、経営が苦しくなった会社は全社員の給料2割カットを実行しました。そしてボーナスも幹部階級は半額カット、一般社員は3割カットされました。
 会社の上層部は少しでも収入の道を確保しようと必死に模索しましたが、独身の若手社員は価値観も考え方も昭和時代のままでいる時代遅れの工場に見切りをつけて次々と退職していきました。私もその1人で、私が退職した半年後くらいに会社が大幅な経営縮小をせざるをえない状態になったらしいです。

 あれから長い年月がたった今、当時の会社はリーマンショックを乗り越え、コロナ禍も乗り越えて頑張っているようです。不景気と値上げ値上げの厳しい世の中ですが、どうか頑張って生き残ってくださいませ。

                           おわり


 

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