血の繋がりって何なんだろう ~最初の一歩~
2024年が明けてしばらくが経った。年明け早々から「まさか」の連続。能登は父の出身地で、今も親戚が住む特別な場所だ。気をつけていないとブルー沼に飲み込まれそうだ
だけど、今年は辰年で年女でもある。良い年にしたいとの思いが強い。龍のごとく、変化に対応し上昇気流に乗りたい。
辰年は特別な年だ。
そうそう、12年前の辰年にわたしは娘と「めぐりあい」をした。
手術を無事終え日常に戻っても、朝日に誓ったわたしの養子を迎えたい気持ちは揺るがなかった。闘病中から養子という選択を夫に話してはいたが、夫はどれくらい真剣に考えてくれているのだろうか。よく分からなかった。
退院して半年ほど経った頃。仕事も再開し、体調(体重)もほぼ戻ったタイミングで(見計らって)夫に切り出してみた。
「養子を育ててみたい気持ちは変わってないねんけど、実際のところよく分からないから毎日新聞の記事にある家庭養護促進協会に電話してみてもいい?」
家庭養護促進協会とはこちらでも少し書いたのだが、
児童福祉法上の里親開拓を毎日新聞大阪本社と大阪府・大阪市・堺市の児童相談所と協力して行っている団体である。その活動は昭和39から始まっており、日本でただ一つの里親探しのための民間の社会福祉団体でもある。
親が毎日新聞を取っていたため、わたしは幼いころから家庭養護促進協会のこと知っていたし、何なら養子イコール家庭養護促進協会とすら思っていた。
夫の反応はあっさりとしたものだった。
「いいんとちゃう。」
拍子抜けとはこのことだ。
夫の「いいんとちゃう」に背中を押され、ドキドキしながら家庭養護促進協会へ電話をしてみると、まずは住んでいる行政機関で里親認定を取得してくださいと言われたのだった。
よく何も知らずに家庭養護促進協会に問い合わせたものだと、今となっては自分でも笑ってしまう。
ただただ「子どもを育ててみたい」の気持ちだけで最初の一歩を踏み出してしまった。あまり知識がありすぎると足がすくんでしまうので、これはこれで結果オーライだったかもしれないが。
当時(14年前)、
滋賀県が開催する里親認定前研修は平日のみの開催だった。
研修は座学と実習で全6日間。まとめて有給を使うのは難しく、足掛け1年の予定で里親認定を取ることにした。
(国や自治体が政策として本当に里親を増やしたいのなら、土日にも研修を実施すればよいと思う。)
その間に夫には養子についてゆっくりと考えてもらえればいいと思うことにした。
だが、現実を思い知らされたのはわたしの方だったかもしれない。
児童養護施設での実習が思いのほかキツかったのだ。
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