見出し画像

血の繋がりって何なんだろう ~養子を迎えることを決めた~

2006年秋に子宮体がんと診断されました。特別養子縁組で0歳女児(2023年現在11歳)の親となるまでの備忘録です。
マガジンでまとめています。


毎日の服薬、1ケ月に1度の外来、2か月に1度の搔爬術、そんな治療を淡々と2年続けた。
願掛けの意味もあった緩いマクロビオテックを実践したら、体質が変わり冷え性でなくなった。

ガーデニングの愉しさに目覚めたのもこの頃だ。
季節ごとの寄せ植え、土づくりや雑草取り、庭と向き合うひとときは無心になることができ、同時に体力もついた。

そう、がん患者は前よりも健康になっていったのだ。

がんと宣告され、人生のどん底に突き落とされた(ちょうどその頃実家のゴタゴタも抱えていた)。階段をそれなりに登り続けてきたこれまでの人生だったが、思いっきり挫折を味わった。

その後、納得でき得る治療を施してくれる病院と出会い、ステージⅠ(がんのステージ)だったこともあり、検査結果には毎度動揺させられはしたが、穏やかと言ってよい患者生活を送った。

不思議なもので、体力が充実すると気力は自然と湧いてくる。

がんがわたしを立ち止まらせた。そして気づかせてくれた。
順調に歩を進めることばかりが人生ではないと。



がんは進行することはなかったが、治療はうまくはいかなかった。「子を宿す子宮」になるのは思った以上に難しかった。

一度だけ妊孕に治療が前進したことがあった。ポリープが子宮内膜に発生しない期間3ヶ月を待って、服薬をやめ妊娠を期待した。
しかし、妊娠することはなかった。体外受精をしてでも妊娠の確率を上げたかったが、妊孕の担当医は体外受精を行ってはくれなかった。
今思えば、産婦人科医の立場では、このような状態の患者に是が非でも妊娠させることはできなかったのかもしれない。

エゴではないか

十数回も搔爬術を施しても、がん細胞を含むポリープが出来てしまう。こんな子宮で、もし仮に妊娠したとしても、赤ちゃんを元気に育めることができるのだろうか。何が何でも妊娠して赤ちゃんを産みたいと望むことは、とんでもないエゴイズムではなかろうか。

なかなか子どもを授からない友人が「Kちゃん(旦那さんの名前)の遺伝子を受け継いだ子どもが欲しいの」と話すのを聞いたとき、わたしには全くない発想に驚いた。
夫との子どもは欲しかったけど、夫のDNAまで愛してるとは言えず(夫よ、ごめん)、自分の血を分けるからこそ、自分の子が欲しいとは思っていなかった。

三十路過ぎの親への遅い反抗期には、血が繋がっているからこその愛憎に、この上ない消耗もしていた。

自分の血が繋がっている人間って面倒くさそうだなと、思った。
そもそも子どもを産みたいの、育ててみたいの。

2年の猶予がゆっくりと覚悟を促してくれた。



K大付属病院に転院してもうすぐ2年になろうとする晩秋。
検査結果を聞くために訪れた外来で、目があった医師の表情でわたしは悟った。潮時なんだと。

医師は一生懸命に説得してくれた。
もし自分の妹が如月さんの病状なら、間違いなく一刻も早い子宮摘出手術を勧めます。如月さんは若い(当時30代前半)から、がんの進行も早い。これ以上の温存治療はしないほうがいいです。

医師の話を動揺することなく聞いた。
分かったよ。分かっているねん。

わたしは摘出手術を受けると答えた。
手術を受けて、治して、養子を迎えると決めていた。

琵琶湖盛夏の風景。娘の夏休みには湖水浴が定番です。





この記事が参加している募集

振り返りnote

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?