太田日瓏(Nichirou Ota)

創建700年の日蓮宗寺院住職/仏道歴38年/42才で権僧正拝命/管内寺院近代における最…

太田日瓏(Nichirou Ota)

創建700年の日蓮宗寺院住職/仏道歴38年/42才で権僧正拝命/管内寺院近代における最年少寺院代表となり愛知県下女性初総代を採用/🟢第1弾、日蓮法華の木剣祈祷の正当性❗️その見解について発信します。知っておくと過激派対策になります/人を家族を自分を守る釈尊の教えを理解する方法

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なぜ一天四海皆帰妙法がいつ迄たっても実現しないのか?

【なぜ一天四海皆帰妙法がいつ迄たっても実現しないのか?】 釈尊の、さとりには相反する2つを離れて、それらは別のものではないのだという。もし相反する2つのうち、片方の1つを取り上げ、これに執着すれば、例えそれが良いものであっても、例えそれが善であっても、例えそれが本門であっても、例えそれが正しいものであっても、誤ったものになると言う。 この世は、移り行く、移り変わると言う理に捉われてしまうと、この見方、考え方も誤りであり正しく見ているとはならない。片方に寄る、偏見ではなくどちら

    • ④【木剣修法で音を出すは、ご本尊とお題目を叩くことに非ずの事】(2)

      🔸 木剣修法を行う際の境地について 木剣加持修法は謗法などにはならない理由。 修法師は、この木剣加持修法を行うとき、いかなる時でも久遠御本佛の一切衆生済度(成仏させて救済する)の大慈大悲の御心を精神に抱いて雑念余事を心に抱かず加持を修することを厳しく持戒せねばならない。(常日頃からも大慈大悲の人となる事に努力せねばならない限り、仏使としての勅命を受けた器(法器)に非らず、修法を成就させる修法師にはなれぬであろう。大慈大悲を人格として受け持ち出行してからの日々の過ごし方、生き

      • ④【木剣修法で音を出すは、ご本尊とお題目を叩くことに非ずの事】(1)

        🔸木剣修法で放つ音とは何なのか?数珠も曼荼羅である。  木剣の数珠でご本尊を叩くと言ってはいけない理由。 その昔、運祐阿闍梨は、『祈祷指南書』に と教え、つまり古来より勝ノ木を用い、俗に物に勝つと云う意味にて勝ノ木を用いるべきを教え、当時の祈祷者は祈念の精神を忘れ音の良きを最上と心得る人が多く十中九分九厘ありと慎むべきものであると教示された。 時代の変化とともに様式変化が起こりうるのもこれも世の摂理ではあるが、見つめるべき事に目を向けることは大切なことではある。 この章の

        • ③【法華祈祷の木剣は此れ邪剣に非ずの事】(4)

          🔸木剣の利剣発動のための行法とは?
法華経の精神から生まれた物を良いとされた日蓮大聖人のご見解とは? 前項で、曼荼羅御本尊やお題目を木剣に書写する事の必要性に関して少し書いたが、このNote版では、極力難しくならないように要点だけをなるべく掲載するように心がけたい。 先の話しでは、曼荼羅御本尊やお題目を心に観る、感じる事が大切であることを述べたが、木剣修法を行って、その顕が示されるために必要な事はそれだけではない。 法の利剣としての発動をするための事をしなければならない

        なぜ一天四海皆帰妙法がいつ迄たっても実現しないのか?

          ③【法華祈祷の木剣は此れ邪剣に非ずの事】(3)

          🔸木剣に何故、曼荼羅御本尊やお題目を書写するのか? ご本尊およびお題目を認めることは、その実を顕せんがためのもの、言い換えれば霊験を顕すという事である。我々は凡夫でもあるゆえ見たものに心が捉われてしまいがちになりやすい。例え木剣にご本尊やお題目を書写した事に対する意識が薄く、「自分、または他人が書いた」と言う意識に捉われ、その木剣が単に物としか見えてこないのでは駄目なのだ。大聖人が仰せの法華経お題目の観心の意識が大事であり、 法華三部経の結経である 『佛説観普賢菩薩行法経』

          ③【法華祈祷の木剣は此れ邪剣に非ずの事】(3)

          ③【法華祈祷の木剣は此れ邪剣に非ずの事】(2)

          祈祷というのは、理に凝り固まることは宜しくない。なぜならば、その顕が現れることに大切なことは、「信」であるからである。この頁で引用した文章の他にも「されば法華経に来て信ぜしかば、永不成仏の名を削って、華光如来となり。嬰児に乳をふくむるに、其の味をしらずといへども、自然に其の身を生長す。医師が病者に薬を与うるに、病者、薬の根源をしらずといへども、服すれば任運と病愈ゆ」『聖愚問答鈔』とあるが、あれこれ理の理解よりも法華経功徳を授与いただくことに必要なことは、「信じること」が先に来

          ③【法華祈祷の木剣は此れ邪剣に非ずの事】(2)

          ③【法華祈祷の木剣は此れ邪剣に非ずの事】(1)

          祈祷というのは、理に凝り固まることは宜しくない。なぜならば、その顕が現れることに大切なことは、「信」であるからである。この章の2頁で理の考察に引用した『聖愚問答鈔』(真蹟なし)の文章に「されば法華経に来て信ぜしかば、永不成仏の名を削って、華光如来となり。嬰児に乳をふくむるに、其の味をしらずといへども、自然に其身を生長す。医師が病者に薬を与うるに、病者、薬の根源をしらずといへども、服すれば任運と病愈ゆ」とあるが、あれこれ理の理解よりも法華経功徳を授与いただくことに必要なことは、

          ③【法華祈祷の木剣は此れ邪剣に非ずの事】(1)

          ②【日蓮宗の木剣加持修法は真言亡国に非ずの事】(5)

          日蓮宗の九字は、「妙一」の字を示しているものである。 この事はすでに今、祈祷関係の書籍が出版されているものを見ると、他の修法師の手によって書かれ知られている通りである。 この「妙一」の字は、「妙法蓮華経序品第一」の事であり、また「妙法蓮華経最尊第一」「妙法蓮華経最勝第一」等々、釈尊一代聖教の最第一の教えが法華経の教えであり、このことを示している意味なのだが、妙法蓮華経の全ての功徳、お題目の功徳を顕す所作であって、この一文字、一音、一念に込められた力は、法華経の加護力をそのまま

          ②【日蓮宗の木剣加持修法は真言亡国に非ずの事】(5)

          ② 【日蓮宗の木剣加持修法は真言亡国に非ずの事】(4)

          🔸 普段から数珠を用いてご本尊、仏、法、僧の三宝の印相を僧侶に関わらなく檀信徒も示している。 加持祈祷には印を示す所作がある。印というと日蓮宗などよりも密教、真言宗などの印象が強いが、仏教全般的な事である見方が本来正しい。しかし真言宗の印と日蓮宗の加持祈祷の際に木剣で用いる九字の印は、同じかと言えば決してそうではない。 印とは、手や指の形を様々な形で表して、仏や菩薩の悟りを表現したものであるが、主に仏像や菩薩像の手や指の形などはすべて印相を表した姿である。印は密教で重視さ

          ② 【日蓮宗の木剣加持修法は真言亡国に非ずの事】(4)

          ② 【日蓮宗の木剣加持修法は真言亡国に非ずの事】(3)

          🔸 日蓮大聖人の祈り。仏教で行う祈りは、仏法の道理でもある。 日蓮大聖人も教化の一助として、時に応じ加持祈祷を行ったことは御遺文からも伺えるしこの事は明白である。たとえば、伊豆流罪の折に地頭伊東八郎左衛門の病悩を祈祷『船守弥三郎許御書』に見るをしたり、母のために病気平癒の祈祷『可延定業御書』を見てもその事が伺える。 このご遺文は、富木尼の病気を知った日蓮大聖人が富木尼に手紙を送り、自筆で姓名と年齢を書いて知らせてくれば日天月天に祈願をすることを伝えた手紙である。尚、末文に

          ② 【日蓮宗の木剣加持修法は真言亡国に非ずの事】(3)

          ②【日蓮宗の木剣加持修法は真言亡国に非ずの事】(2)

          日蓮大聖人ご遺文引用には、昭和定本、一巻、二巻に収録されたものを主にし、教義的なことの重要なことには、真蹟の現存、または曽て現存したものから引用とした。総体的な理の判断には、真蹟の現存、真偽に関わらなくあくまでも理の考察のために引用した。祈祷というのは、理に凝り固まることは宜しくない。なぜならば、その顕が現れることに大切なことは、「信」であるからである。 諸宗を折伏する意図はありません。①【日蓮宗のご祈祷の事】の文頭をご覧いただきますと幸いです。 ②【日蓮宗の木剣加持修法

          ②【日蓮宗の木剣加持修法は真言亡国に非ずの事】(2)

          ②【日蓮宗の木剣加持修法は真言亡国に非ずの事】(1)

          [他宗のお方にお詫び] 我が日蓮宗、法華門下の木剣加持修法に対して、邪道と悪口雑言を受けている事実があり、その事に対しての正論を法華経を始め、日蓮大聖人のご遺文中、また我が日蓮宗、法華門下の祈祷の史実に基づき、対論を述べたまでのものですので、ご容赦いただきたくお願いを申し上げます。 日蓮大聖人は、弟子後世の者へ摂受を最もとするようご文章を残されています。よって今、現代に他宗を折伏する意図はございませんので悪しからずご理解をお願い申し上げます。 日蓮大聖人ご遺文引用には、昭和

          ②【日蓮宗の木剣加持修法は真言亡国に非ずの事】(1)

          ①【日蓮宗のご祈祷の事】

          修法について書きます。ご参考頂けますと幸いです。 これらの事は2013年頃に書き机の中にしまっておいたものです。 部分的に訂正しながらUPしていきます。 [他宗のお方にお詫び] 我が日蓮宗、法華門下の木剣加持修法に対して、邪道と悪口雑言を受けている事実があります。その事に対しての正論を法華経を始め、日蓮大聖人のご遺文中、また我が日蓮宗、法華門下の祈祷の史実に基づき、対論を述べたまでのものですので、ご容赦いただきたくお願いを申し上げます。 日蓮大聖人は、弟子後世の者へ摂受を

          ①【日蓮宗のご祈祷の事】