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日本画家 吉岡順一さんインタビュー


 現在、日本画家として食べていけるのはほんのわずかだと言われている。40代でいったんは手放そうとした夢に再チャレンジしている吉岡順一さん。芸術としての表現と、商品として求められるニーズ。表現者はそのギャップとどう向かい合うのか?再チャレンジのきっかけとなった言葉とは?


小さい頃から絵を描くのが好きだった吉岡さんは、美大卒業後、画家として活動していくためのセオリー「画壇」に所属する。
(画壇とは、日本の「美術公募団体」の総称。団体の主催する「公募展」に一般応募し、何度か入選すると、入会の資格を得られる。
ここでキャリアを積んでいくと、大学の助手などの道が開かれることもある。)

大学卒業後はアルバイト、その後高校の美術教員として働きながら、絵を描き続けた。
あるとき、自身が会員である団体とは別の団体が主催する公募展に出展し、その作品が入選した。これが所属する団体から反感をかうことになる。画壇は古い日本的な体質、いわゆる「上意下達」の世界。予想通りの反応があり、覚悟はしていたが、がっかりした。意外にもあっさり、30年近く出品していた団体を辞めることができた。
2015年のことだ。

画壇の体質に疑問を感じ、ここに未来はないと感じながらも、これで画家にるための、1つの道がなくなった…。同輩が大学教授になったことも追い討ちをかけた。実力よりも、世渡り上手が勝つ世界なのか?画家になれない自分は幸せじゃない。
画家として認められない自分は、自分じゃないんだ…。

そのあと、吉岡さんは「ゆほびか」に出会う。

ゆほびか

株式会社マキノ出版が発行する健康誌。おもに女性向けに美容や健康に関する情報を紹介。毎月16日発売。

引用 コトバンク

「世界は自分で創る」
ゆほびかに載っていた人気ブロガー、ハッピーちゃん(現在はブログを閉鎖)の言葉だ。ブログタイトルにもなっているこの言葉は、吉岡さんを揺さぶった。

絵の制作を続けながら、自己啓発のセミナー、ワークショップで学び、カードティーチャーの資格を取った。占いの館で、占い師としてやってみたこともある。絵の世界以外の場所で、これまでにないほどの、たくさんの仲間ができた。

世界は自分で創る…つまり、自分の信じていることは、現実として現れるんだ。画家だと決めるのは、団体やお客さんじゃない。自分なんだ…。

2020年にトラブルに巻きこまれて、20年続けてきた高校の美術教員を辞めることになったとき、不思議と絶望感はなかった。自分の居場所はここじゃないとわかっていた。これはいい流れ、画家としての新しいスタートだと自然に思えた。

もう一つ、吉岡さんにとって大切な言葉がある。

「生存戦略」
生き残るために、どうするべきか現実的に考えること。吉岡さんは、画家として自分が創作していきたいものと、商品として提供できるものをわけて考えようと思った。
画家として創りだしたいアートの制作、そして、みなさんが欲しい絵をココナラ(スキルを売り買いするマーケット)などで販売する。この両輪が、今考える「生存戦略」の一歩だ。

まずは吉岡順一という人間を知ってもらわなければ始まらない。先月はココナラで8件の注文があった。スケジュールは厳しかったが、無事作品を届けることができた。

今なら…
SNSで自分の作品を発信して、クライアントをみつけることもできる。
画家だって、いろんなスタイルがあっていいはずだ。

画壇という場所から出なければならなかったのも必然なのかもしれない。バックアップはなくなったかもしれないけど、自分をおし殺し、長いものに巻かれなければ生きていけない世界には、どのみち長くいることはできなかった。

「絶対大丈夫!…だと思ってます笑」
吉岡さんの柔和で優しい笑顔。
その言葉は、自分の才能を信じ、画家としての未来を信じる誓いでもあった。

❇タイトル上の画像は、吉岡順一さんの作品です。

吉岡順一さんのインスタグラム↓
https://instagram.com/yoshiokajunichi?igshid=YmMyMTA2M2Y=



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