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呪術廻戦がおもしろい!!

僕はつくりての“好き”が溢れてこちらまで届いてくるタイプの作品が好きだ!!

最近見始めたアニメ「呪術廻戦」は作者の“好き”が溢れまくっている!!(ように僕は感じる)

〜あらすじ〜

呪い蔓延る現代社会・・・

主人公の男子高校生、虎杖(いたどり)はひょんなことからボスクラスの呪いの化物をその身に宿してしまう

化物の力をコントロールしながら、この世に蔓延る呪いをバッタバッタとなぎ倒す“呪術師”としての道を歩んで行く

かなりざっくりとですが、こんなような話です。

これって高校生版「ぬ〜べ〜」じゃね♪

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主人公グループは男、男、女の三人組で山奥にある呪術学校で修行をする。これは「ナルト」だな〜♪(呪術学校の先生がカカシにそっくりなんです)

ナルトのカカシ先生↓↓

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呪術廻戦の五条先生↓↓

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こんな風に作品の背景にある“作品”がみえてくるのがとても楽しくって♪

特に作者と自分が同じ作品を好きなのでは!?と思う瞬間のおとずれ・・これを『ときめきシンパシー』とでも名付けようか。ときシンを感じられたら更に嬉しくなる!

同期の呪術師たちは生まれもっての能力者、印を結んで式神を呼び出し化物退治をするんだけど、主人公は先にも書いた通り、ひょんなことをきっかけに能力者になってしまったので、これといった呪術を使えない。なので己の拳で、肉弾戦で化物退治を行う。

これって・・・『ゆうやみ特攻隊』だ!!!!!

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この漫画は先に例に挙げた2作ほど有名なものではないので、どんなものなのか少し説明すると・・・

〜あらすじ〜

幽霊を己の拳でぶっ叩くステゴロ除霊でガンガン悪霊退治

以上!!!!!

コイツを読んだ時、電撃が走った

幽霊をやっつける系の話は数あれど、一切の道具に頼ることをせず、己の“拳”で幽霊をぶっ叩いて除霊する。斬新過ぎる!!!!!

多分だけど呪術廻戦の作者は「ゆうやみ特攻隊」を読んでいるに違いない!!こういうニッチなとこでの、ときシンを感じられると益々その作品が好きになってくる。

もちろん『ときシン』を感じられるだけでは、その作品を好きになれるはずもなく

ときシン+オリジナリティ=好き

↑好きの方程式完成↑

呪術廻戦のオリジナリティ

先の『ときシン』の章では僕なりの呪術廻戦参考文献をずらっと並べて語ってみせた。僕は全くの無からは何ものも生まれないと思っているし、どんな作品も過去の傑作の呪縛から解放されることなんてなくって、どれだけ斬新なものだとしても○○っぽさは滲み出るものなんだろうと考えている。

全く新しいもの、誰も見たことないものをつくるんだ!!

と意気込んでしまうと、とてもシュールなものになって、それはそれで『見たことある見たことない作品』になってしまうのだろう。

過去の傑作たちの胸をドーンと借りた上で、自分が世の中に訴えたい思想信条や現代性を織り交ぜることによって「オリジナリティ」が生まれる。

呪術廻戦は少年ジャンプで連載している作品なので、割と序盤で強敵にぶつかり打ちのめされ→己の弱さを自覚し→修行をする。という少年漫画的お決まりの軌道で話が展開する。正直、これ何回見れば良いんだよ・・・とちょっと辟易とする自分もいるんだけど、それ以上に「待ってましたッッッ」とアガる。

他にも少年漫画のお決まりと言えば、男女の恋模様だったり、お色気があったりするが、呪術廻戦は恋模様もお色気もやっていない(僕がいま見ているところまでは)。

これが素晴らしいなーと思うのです!!

先にも書きましたが、呪術廻戦の主人公グループは男、男、女という座組みになっていて。この座組みでやるんだったら「ナルト」でサクラがサスケに恋したように『紅一点キャラの恋』を描けば話にアクセントが加わり

「ぬ〜べ〜」の女キャラが妖怪たちの手によってバンバン服を脱がされたように『お色気シーン』を連発させれば、少年漫画を読んでいるメイン層には大ウケすると思うけど、呪術廻戦ではそれをやっていない。


女性キャラの釘崎は超田舎の生まれで、呪術師になるべく上京する。地元を離れてまで呪術師になった理由を彼女は劇中で

あんな田舎にいたら自分が自分でいられなくなると思った。自分らしく生きるため呪術師を志し、上京した

と語ります(劇中の台詞そのままではなく、意訳)。

お決まりの『紅一点キャラの恋』を描かず、いわゆる自立した女性として釘崎を描くあたりに作者の思想信条を感じられ“今”をどう捉えているのかということも伝わってきて感動する。

呪術廻戦で特にときめいたオリジナリティをあと2点挙げて話を〆ようと思う。

拳でぶっ叩いて化物退治を行うと書きましたが、厳密にいうと拳に「負の感情=呪い」を込めて、呪いの化身である化物を退治する。呪術廻戦の世界観では呪いをやっつけるのは更に強大な呪いということになっていて

これが👍💯👍💯👍💯👍💯👍💯

正義VS悪という構図でやってしまえば『最後に勝つのは正義なのだよ』という超簡単なとこに話を落とし込めるのに「呪いVS強力な呪い」しかも強力な呪い側に、より負の側に主人公がいるので、この話をどう決着させるつもりなのか目が離せません!

価値観が多様化した現代社会。何が正義で何が悪なのか一概に『こうだ!』と言い切れない今の空気感もすくい取ってみせていて👍

もう一点は化物退治よりも、自らが所属するグループをぶっ壊すことこそを真のゴールに設定しているとこに、ときめく。

既存のシステムを疑い、ぶっ壊そうとする

これって元来なら敵側の役割であって、主人公側にこれを背負わしているのは斬新だなと思います。

物語の序盤も序盤で呪術学校の先生で、最強の呪術師である五条先生が

本当は教師なんかやりたくないけど、今の呪術界のお偉方は保身、保身で腐りきっている。こんなしょーもない呪術界をぶっ壊すために、教師になって自分の意思を継いでくれそうな強い呪術師を沢山育成し、革命軍をつくり今あるものをぶっ壊す

(もちろん意訳)と語ります。巡り巡って大ボスは身内の偉い奴だった・・・というパターンはあるあるだけど、最初から身内を狙い撃ち!痺れる!!テロリストが教師をやっているという現実ではなかなかお目にかかられない光景を見せて頂き眼福。


最近『ブラック校則』という言葉をよく耳にする。これは今に始まった話ではないと思うけど、ようやくブラック校則という名付けが行われたことによって可視化されたのだろう。

校則=守らなければいけないものという先入観を、校則に傷つけられた大人(元子ども)がブラックな校則なら従う必要なくね?という気づきを子どもたちに与えるための“キーワード”としてのブラック校則だと思うのですが、言葉は(特に単語は)大切にされないもので

俺の学校マジブラック校則でだりぃわ〜

という自虐ネタに使われるのが関の山。誰がつくったかは知りませんがブラック校則の生みの親は、そういうことじゃなかったのに〜と歯ぎしりしながらズッコケているのでは。

単語よりも物語は大切にされ、大きく誤解されることもない(と信じたい)でしょう。

虎杖のファイティングスタイル、釘崎の生き様、五条先生の思い

呪い蔓延る現代社会と戦い、渡り合うための渡世“呪術”を呪術廻戦は我々に教えてくれているのではないのでしょうか?


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