こいのてき

 裸の足の爪を見ると気色が悪かった。夏中、赤いペディキュアをしていた。肌と同じ色をした不明感触の爪、は新鮮に気色悪かった。
 秋が来たのだ。そうしてこれが秋なのかしらと暦について考え始めたころ、もう冬になり始めているという始末だ。さいきん毎年そう。かんぜんに置いていかれてしまっている。
 恋人の白髪を抜くのが好きだった。ミートソースのパスタをくるくるくるくる巻く。蜂の巣みたいに大きなひとくちをがんばって頬張る。君のその食べ方じゃあパスタが三口で終わるねなんて言われたっけな。
 年上の恋人の低い声。十年も早く生まれた人と、あんなに話ができるなんて思わなかった、きっと彼がひどく子どもっぽかったからだろう。
 おっぱいフェチの彼が私の胸にじかに顔を埋めるとき、幸せとかなんだとか呟くとき、ぜったいに下を向くことができなかった。いつもカーテンの水玉模様を見て時間のすぎるのを待った。母性を求める男の子への残酷な仕打ち、十年分の清潔さの押し付け。
「でも、あそこの居酒屋は少しうるさすぎるよね。」
「価格帯の問題だろうね。客層が悪いのも仕方ないよ。」
 窓の外から男女の声が聞こえる。これだから一階の部屋は嫌なのだ。それもマンションの入り口に近いので、人が溜まりやすい。
 いい感じの段階にある男と女の会話というのは聞いていて本当に不快だ。当たり前のことなのだ。恋愛なんて当人にしか楽しくないし他人の興味の的ではないから。
 ミートソースのパスタは 五分でなくなった。子どもが遊んだあとみたいな汚れ方をしたお皿にムカついて洗わずに捨てた。この街がいくら分別に寛容だとしても陶器のお皿を燃えるゴミに捨てるのはちょっとやりすぎかもしれない。
「じゃあ今度、弥生ちゃんがこの間いい感じって言ってたところ行こうよ。」
「……ふたりで?」
 彼と別れたのは赤ちゃんプレイをしたいと言い出したからだ。ばぶーと言う彼とよしよしをする私を想像して一瞬で冷めてしまった愛情というべきものの塊は思ったよりも軽くて触るとやっぱりひんやりしていてずっと持っていると指が芯から冷えてきたので捨てた。なんてことはなかった。
 それでも、ひとりだということは案外こたえる。赤ちゃんプレイかそうでないかギリギリのところを攻めてでもクリスマスまで我慢すればよかったな、こんなに街がキラキラの準備をしているのに私には寒さで潤んだ目を向けて微笑む相手もいないなんて。物理的な問題で寒く寂しい。
 ……ふたりで?に、明確な返事がない。声に出さず、首肯に留めたのだろうか。男はにっこりして頷いたのか、それとも緊張の面持ちで頷いたか。どうかにっこりして余裕の感じでいておくれと勝手に願うのは、私の好みの話でしかない。
「日本酒のお店でしょ?私すぐ酔っ払っちゃうよ。」
「いいよ、酔っ払った弥生ちゃん可愛いから。」
 私は急いで窓を閉めた。ミートソースのついたお皿をゴミ箱から救出して流しできちんと洗う。
 弥生ちゃんはきっと嬉しかっただろうな、と考えてもう一度二の腕に鳥肌がたった。恋愛にいちばん不要なものは、客観視することだと思うのだ。

#小説 もどき #ショートショート #恋愛

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