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生き恥

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最近の記事

立ち尽くす

何をどうしていいのか本当に分からなくなって道に立ち尽くしてしまう時がある。特に多いのは夜仕事が終わって家に帰る前にご飯を食べなければ、というとき(ご飯を食べたい、ではなく食べなければという状態なのがミソ) コンビニに入ると、ちょうど夜の時間の品物補充をやっててお弁当が見えず、牛丼屋の前を通りがかれば、入り口近くに座っている先客の目線がこちらに向いているのが疎ましく、ちょっと離れた別のコンビニにと思って少し歩いてみるものの、中途半端に歩いたところで家との距離に足萎えて、踵を返

    • 休符と吃音

      時々 ああこの人とは どうやったって分かり合えないのだ と感じてしまって とてもとて も さみ しい気持ちに なる 言葉なんて本当は 立て板に水とばかりにつらつらと 圧縮して並べ立てるものでは無い 切れ目だとか 沈黙とか 突っかかりとか 吃りとか それだって言葉であって良いのじゃないか 休符が音楽であるように 気持ちを言葉にコンバートしていく中で 零れ落ちてしまうものをこそ 伝えたいのに ね 伝わらないものだね どんな哀しみの淵に立とうが そんなことまるでなかったかの

      • こわー

        茨城のホテルこわー、お風呂に入りたいけどこの時間から大浴場って霊感的なものはないけどなんか見ちゃいけないもの見てしまいそうでイマイチ足を運ぶ気分になれないし、なんでこの部屋ベッド2つあんねんって感じだし、なんか嫌な気分だなーってグワングワンしながら、ああそうか、地元に似てるんだなと思った。 昔見かけたツイートで「地元で火葬されるくらいなら都内のコンビニのゴミ箱に捨てられた方がマシ」って言ってる女の子がいて、首肯に首肯を重ねても足りないくらい、ですよねーという感じになった。こ

        • MAMANARANAI

          THA BULE HERB久しぶりに聴きてえなってYouTube漁って、OK余裕だよなーなんつって考えてたら4月から全曲デジタル配信開始だって、こういう偶然が嬉しい。 目黒からの帰り道、桜の花はもう散ったのかなと思ってたけど、案外まだまだ綺麗に咲いてて、しぶといなあと思う。お酒飲めないけど花見がしたくなる。中目黒駅前の横断歩道は、桜を見に来た人たちでバカみたいにごった返していて、まあこれも毎年のことなんだけど、風情がねえったらないよな。 昼間も夜もきっとうるさいだろうから

        立ち尽くす

          怒髪天衝くマン

          自分だけが醒めていると思うことほど愚かしいことなんてないんだけれども、どうしても思考がそういう方向性を向いてしまう時があって、悪い癖だとは分かっているんだけど「この愚民どもがー」みたいな悪の帝王みたいになっちゃう。そんな自分もそう思わせるあれこれも、全部が全部腹立たしい。 分かりやすいものだけ消費しやがって、本当に考えなきゃいけないこと、向き合わなきゃいけない問題に関してはそっぽを向いて、切断処理がうめえなお前らは。ちゃんと傷つけ。ってすごい暴力的なことを言ってるのも分かっ

          怒髪天衝くマン

          君に届くな/ディスティニー要らない

          この世のありとあらゆる事象に本当のところ必然性なんてない。神様の思し召しも因果応報も本当には存在しなくて、あるのは偶然だけ。偶然産まれたり偶然死んだり偶然出会ったり偶然別れたり偶然酷い目に遭ったり偶然楽しいことばかりで生きていけたりする。善いことをしている人間に幸福が訪れることはなく、悪事を働く人間に天罰が下ることもない。世界はそういう不条理の上に成り立っている。 けれど、人は不条理に耐えることが出来ない。既に起きた事象に対して、意味や理由を求めてしまう生き物が人間だ。それ

          君に届くな/ディスティニー要らない

          HELLSEE

          「悪を為すこともできる人間として、善きことをする」とは誰の言葉だったかどうしても思い出すことができないのだけど、詠み人知らずとて何も失われないのが言葉の良いところです。書く僕の意識なんてどこかに消えて、言葉だけがそこで生きていてくれたら良いんだけどなあ。 そこそこに悪いことをして生きて来たし、きっと今だってこれからだって、意識的にしろ無意識的にしろ誰かを傷つけながら生きるんだろう。いっそ開き直ることができたらという風には、全く思わない。世界というのは人々の共同幻想、嘘、物語

          HELLSEE

          2:32

          最近知り合いになった人と打ち合わせを兼ねて、ボスも合わせて3人でご飯を食べに行って、1軒目はとても楽しかったんだけど、2軒目に行ったバーでクソみたいな気持ちになってしまった。 他人がやっていることをきちんと認めなければ自分がやっていることを見てもらうことなんてできないと心から思うのだけど、でも、1人の人間が全身全霊を注ぐものがそれでいいのか、みたいな気持ちになってしまうから良くない。そんなに簡単に他人をジャッジしてはいけないのだけど、何もかもが空疎に感じて寂しくなる。嫌いな

          意味付けをすること。

          時々、世界の仕組みというか運命というか繋がりというかなんと表現していいのかよく分からんのだがそういうものに気づいてしまったのかもしれへんなこれはビビビと、電波的なものを受信する時があるのだけど、それは別に何か大したことが起きたときじゃなくて、むしろ日常の生活に勤しんでくるときに飛んでくるので面白い。 サムシングなグレートなんてものはもちろん存在しない。神も仏も人が人のいぢましさ故に作り出した、いぢましさって使い方これであってたっけと思っていちいち調べるおれのいぢらしさ(合っ

          意味付けをすること。

          街の断片

          犬猫街頭募金の人とお話をしながら、行き交う人々を眺めていたら、独りの女性が目に付いた。痩せた体が一見して弱々しい雰囲気を醸し出してはいるけれど、同時に個性的でありたい訳でも無いのにどうしようもなく個性が滲み出てしまうような、そんな立ち姿で、伏し目がちにこちらを見つめていた。 彼女は意を決したように近づいてくると、その場にいる僕と募金のお姉さんに、小さな声で早口ではあるが、はっきりとこんな宣言をした。 「犬も猫も怖いのですが、やさしい人になると決めたので、募金をします」

          街の断片

          岸政彦さんの『断片的な社会学』を読んで思ったこと。

          僕の生まれた町は田舎だ。トマト栽培のビニールハウスや畑の横をずっと歩いて行くと海に突き当って、そのすぐ近くに小学校が建っている。海岸線沿いにはずらりと公営住宅が立ち並んでいて、町の名前に「新」が付く。公営のある新町の方は雑多な人々が集まり、僕が住んでいた旧い町の方には農家の人々が多かった。 人口は新町の方が多くて、学校が終わる頃になるとそこかしこで子どもたちが遊んでいた。僕が学校に通っていた時代はそれでもまだマシだったらしいけどそれなりに「荒れた」地域でもあった。非行少年や

          岸政彦さんの『断片的な社会学』を読んで思ったこと。