見出し画像

異国の船着場の案内人

ここにくるといつも迎えてくれる人がいる。

ある時は、女性で現れて、別の時には、おじいさんのような容貌で現れる。でも、どのような感じで現れようとも、同じ人だ。そう、同じ人だと思う。

この人がいなければ、どこにいるのか、どこへ迎えばいいのか分からなくなってしまう。例えていうなら、言葉のわからない、初めての異国の船着場。旅人や商人、売り子たち、荷物を運ぶ人たち、見送る人々、たくさんの人々が、雑多に行き交う港に、初めて船でたどり着いた時の、街のどちらに向かったらいいのかわからない、そういう感じだ。

私はどこへ向かったらいいのか、わからず佇んでいると、案内人が現れる。空港で名前をボードに書いて立っているように、私を港から連れ出してくれる。

とりあえず、案内人の後ろをついて歩いていく。そうではないと、どこへいったらいいのか分からなくなってしまう。ああ、何かがあるから、自分は存在するんだ。私が存在して、真実になる、と言った人がいるけれど。ここでの私は、案内人があるから、私でいられる。

案内人は、大体いつもよくわかっているようで、そんなには喋らないが、大体は必要なところへ連れて行ってくれる。時折、乗り換えが必要な時には、他の電車のところまで連れていくし、何かカフェのようなところにも連れて行ってくれ、サンドイッチを食べるように注文してくれる。

時々、学校みたいなところへも連れ出してくれ、何か講義を受けたりしている。それらは帰る時にはほとんど忘れてしまう。時々覚えていることがあるが、ほんの一行だ。

私は船を降りて、帰る時、運良く持ち帰れた言葉を、持ち帰ったお土産物を紐解くように大事に開く。開く時に、それは崩れてしまいそうになる。降り立った場所の空気では、その言葉は脆い。大事に壊れないように、こぼれないように、崩れないように、侵入されないように、しなければ、ちゃんと持ち帰ることはできない。

目下のところ、あちらで経験したことを、そのまま持ち帰ることができるように、放棄する。様々なことを放棄して、ちゃんと持ち帰るようになるのだ。

「全身を開いて、こちらの世界の感じ方で見よ。」

私は、ハートを開いて、全身の細胞で感じる。細胞は、細かい網目になっていて、一つ一つが、バイブレーションで揺れている。あちらこちらで起きていたさざなみが、ある時、一つのより大きな波形のバイブレーションになり、ザザーっと全身を駆けていく。あちらの世界に渡るのだ。私はこの四角い細胞でこの世界を呼吸する。そうだったのか。細胞で呼吸するだけでよかったんだ。

持ち帰った言葉は、細胞に響く。どんな言葉よりも、ズドンと心の奥底に落ちて、そして、もうその言葉自体は忘れてしまう。もう自分の中に入ってしまえば、言葉など不要なのだ。

どうせ不要になるのなら、最初から後生大事に持ち帰る必要はないだろう、と思うだろうか。だけどやっぱり、無事に一度こっちの世界で開き、そしてこの世界の言葉で飲み込むことで、はっきりと、その言葉は私の細胞に浸透する。そして、その言葉を生きることができるようになるのだ。

今晩もまた、案内人が待っているので、行くとする。

***
Inspired by
Earth Point Sagittarius 16 Sea gulls watching a ship.

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?