KEN

約17年間、癌と戦ったおかん。おかんのサポートのため看護師になった息子。 この長いおか…

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約17年間、癌と戦ったおかん。おかんのサポートのため看護師になった息子。 この長いおかんの闘病生活を振り返り、子供である僕が今後生きていくためにも、自伝として 「母親の生きた証」として残す。大切な人が癌になった後、家族の介護も大変。この記事が、誰かの役に立てば、おかんも喜ぶだろう

最近の記事

「おかん」からの処方箋~17年間の闘病日記~⑧

看護学生晴れて看護学生になった僕は看護師になるためにたくさんの勉強をすることになる。 この3年間はとても濃い時間だった。 座学はもちろん、病棟実習も経験した。 ただ、今のYouTubeで見れる鬼指導者などが担当になることはなく 比較的楽しみながら実習を経験した。 看護師国家試験もクリアして 3年間なんとか無事に卒業することができて看護師になった。 ただ、看護師になるために多くの勉強をしたことで 改めておかんの心配をするようになった。 癌はしつこいということ

    • 「おかん」からの処方箋~17年間の闘病日記~⑦

      看護学校受験看護学校の受験は大変だった。 リーマンショックで就職難の時代。皆考えることは、安定した仕事。 だから、医療系を目指す人が沢山いた。 もちろん受験人数が増えれば、倍率が高くなる。 要は狭き門だ。 僕は、大学受験をしたことがない。ろくに勉強をしてこなかった。 受験勉強は中学生からはじめた。 受験勉強を初めて、「あぁ、これは1人では無理だ」 そう感じ、 両親に頼んで 看護学校受験を目指す予備校に1年通った。 僕は馬鹿だったから必死に勉強した。もっと

      • 「おかん」からの処方箋~17年間の闘病日記~⑥

        病院と縁があるのか?わんぱく小僧 この言葉を聞くと、どんなイメージをするだろうか? 喧嘩ばかりする子供? 活発的な子供? ケガばかりする子供? 僕はケガばかりする子供でした。 2、3歳の時は 階段に顎をぶつけて、顎を縫い 幼稚園児の時は 椅子から落ちて、頭を縫い 小学生の時は、腕を骨折、足を骨折し 挙句には、 あれは夏の日。自宅マンションのガラスドアをサンダルで蹴って開けようとして、、、、、 案の定、ガラスを足で割り、、、、 40針近く縫う大けがをした。今でも覚

        • 「おかん」からの処方箋~17年間の闘病日記~⑤

          僕と看護師おかんの癌は、手術と薬物療法のおかげで再発もなく約2年ぐらいが過ぎていた。 そのころの僕は、 芸術系の仕事を目指しつつも、今後の漠然とした不安に押しつぶされ これからの人生をどう生きようかと悩んでいた時期だった。 芸術系以外はやりたいこともなく、何をするにも憂鬱だった時だ。 そもそも勉強もろくにしてこなかったため、今から良い仕事に就けるわけもない、、、、そう勝手に決めつけてもいた。 確か、22歳ぐらいだったと思う。 周りの友人が大学を卒業し、就職していく

        「おかん」からの処方箋~17年間の闘病日記~⑧

        • 「おかん」からの処方箋~17年間の闘病日記~⑦

        • 「おかん」からの処方箋~17年間の闘病日記~⑥

        • 「おかん」からの処方箋~17年間の闘病日記~⑤

          「おかん」からの処方箋~17年間の闘病日記~④

          乳癌おかんは癌になった。 部位は様々だけど、 女性にはとてもつらい部位だった。 乳癌。 左乳房に癌ができた。 癌にもステージがある。 ステージ0期:癌細胞が上皮内にとどまっており、リンパ節への転移なし ステージ1期:癌細胞が筋肉層でとどまっており、リンパ節への転移なし ステージ2期:癌細胞が浸潤しているがリンパ節転移なし、または浸潤は広がっていないがリンパ節転移あり ステージ3期:癌が浸潤しリンパ節への転移もあり ステージ4期:原発巣から他臓器へ癌が転移し

          「おかん」からの処方箋~17年間の闘病日記~④

          「おかん」からの処方箋~17年間の闘病日記~③

          衝撃的なワード自宅でくつろいでいるときに、おかんは僕を呼んだ 少し顔は暗い感じで、重苦しい雰囲気だった。 「お母さんは癌になりました。保険とかは入ってるから、あんたの学校代とかは大丈夫やから。心配せんでも」 的な言葉だ。 「ん?、おかんは何を言うてんやろか」という思いだった。 癌? 死ぬん? 20歳ぐらいの僕は、癌という病気は知っているがどういう病気かまではわからなかった。 だけど、一つだけ言えたのは、、、、、 癌は死ぬ病気ってこと それから、兄弟と父親とそ

          「おかん」からの処方箋~17年間の闘病日記~③

          「おかん」からの処方箋~17年間の闘病日記~②

          これから何が起こるんだ?19歳か20歳ぐらいの僕は おかんの表情を見て何かを感じ取った。 僕はおかんの表情を察すことができた。 その理由はいくつかある 幼少期のおかんは嫌いな存在 僕は幼少期、母が怖かった。もちろん、優しい面もたくさんあったけど 子供ながらに母の顔色をうかがいながら生きてきた。 小学校低学年の時 夏の暑い日、友達の家で戦いごっこをしていた。 その戦いの中で、友達の体を押した際に扇風機にぶつかって壊してしまった。 家に帰ったら、おかんはおかんの友達

          「おかん」からの処方箋~17年間の闘病日記~②

          「おかん」からの処方箋~17年間の闘病日記~①

          「僕の目の前でおかんは息を引き取った。」 このNoteを書こうと思ったのは 自分自身の心を整理したかったから、それと生前の母と冗談交じりで「おかんの事を自伝にしたるわ」と笑いながら約束したから。 また、この経験をこれから癌と戦う人やその家族の何か役に立つ事ができたら幸いです 文章の書き方もわからないし、そもそも文字を読むとクラクラするような人間が自分なりに文章を書こうと思う。 おかんからの突然の報告それは、突然だった。 確か僕が、19歳か20歳か、、、、 病気なんて

          「おかん」からの処方箋~17年間の闘病日記~①