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【最近気になっていること】日本はいつから"こう"なのか?

最近、日本はいつから「こう」なんだろう?と考え続けている。

安倍政権が誕生して、政治家が使う「言葉」が明らかに変わった感じがした。国民に何かを説明するために言葉を使うことが無くなり、言葉の意味を自分の中で解釈を変更してそれで押し通す。

例えば「積極的平和」。

平和学・政治学では貧困・差別・搾取・抑圧など、紛争や戦争の原因になるもの(構造的暴力)を「積極的」に排除することと定義される。安倍内閣が掲げる「積極的平和」は、むしろ軍事的均衡で単に戦争のない状態を維持するだけの「消極的平和」(negative peace)の考えに近いという指摘がある。

コトバンク 積極的平和主義

これじゃまったく意味が変わってしまう。
今となっては新聞など文字メディアで「積極的平和」と書いてあってもどちらのことかわからない…。

言葉の使い方については、太田光さんや武田砂鉄さんの著作での指摘がなかなか刺激的で、この疑問が自分だけのものではないとわかる。

武田砂鉄さんは「武田砂鉄のプレ金ナイト」というラジオ番組もやっていてyoutubeでアーカイブが聞けるが、オープニングトークと後半はニュースに関する言及が多いので楽しい。
(前番組「アシタノカレッジ」もアーカイブがあり、視聴可能)


さて、話を戻そう。
日本はいつから政治家が国民をだます国になってしまったんだろう。

個人的には政治家自体信用できないと思っている。
というか「誰かのために尽くしたい人」がそんなにたくさんいるわけがない。賃金だったり政策だったり、なんかしらの自分の願望がかなえられるから政治家になるんじゃないだろうか。

本当に心の底から日本のことを考えている人がいたらすみません。

こうしたことを考えていく中で、Twitterを見ているとやはり安倍政権を批判する視点がひとつ大きくあると感じていた。
10年間で日本をダメにした、と。

そんなツイートを毎日浴びまくって、私自身も安倍政権が悪いのかなと単純な思考に追い込まれていた。

しかしなぜ安倍政権で「急に」世の中が変わったのか、と思うとやはりよくわからない気もする。

そんな時、こんな本に出会った。

憲法の成り立ちから中身までを解説して、発展編で「調べてみよう!」的なポイントまでついているわかりやすい一冊だ。

この本でまずおさらいしたのは、日本国憲法以前、大日本国憲法はプロイセンをお手本にしたということ。
なぜプロイセンをお手本にしたかというと、「天皇が認めたから」と言えばいろいろスムーズに事をすすめられる、ということらしい。

おいおい。
これじゃあ大日本国憲法の時点で、閣議決定で何でも進めていく現在の前フリが始まっているじゃないか。
そういえばそもそも選挙も制限選挙で国民の意見は反映されにくい形になっていた。

民主国家を目指していたんじゃなかったの?
結局権力が欲しいだけなの?

「20歳の自分に教えたい日本国憲法の教室」は本当に基礎を丁寧に教えてくれている本なので、私のネチネチした悩みに答えてはくれなかった。

政治は、みんなのためにあってほしい。
難しいけどそう願う。
歴史的にそう考えた人はいなかったのか、今度はそれを探してみたい。

そんなわけで今度はこの本で、西洋の中で明治憲法をどうやって作っていったのか学ぶ。



番外:今地底旅行にハマっています!よかったら一緒に行きましょう~!!

ここまで読んでくださってありがとうございます!

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