20240319


『ロング・グッドバイ』のどの辺だったか忘れてしまったのだけど、フィリップ・マーロウが「犯罪は病理だ」と言っていた。このセリフが、患者として手術を施された後に何か身体の中に、コンピュータ・エラーの"Warning"のように、システムが作動するのに大きな支障が生じるわけではない、無視できる小さなエラーのように体内に残っているような違和感を抱えていたのだけど、おそらく犯罪は「病理」ではなく「副作用」だ。

そして人の感情は全ての行動や言動の発生源なのだと思う。人の感情=信号。ある出来事を目撃したり、ある言葉を聞いたり読んだり、ある音楽がハートに届いたとき、自分のハートの中で何かが発生する。自分が次にどういったアクションをとるべきか瞬時に教えてくれる信号。対話したり、眠ったり起きたり、何もしなかったり何かしたり、ものを書いたり書かなかったり、修正したりしなかったり、何かを盛ったり削ったり、働いたり働かなかったり、稼いだり稼がなかったり、作曲したりしなかったり、絵を描いたり描かなかったり、愛したり愛さなかったり、悲嘆に暮れたり暮れなかったり、嫌悪したり憎悪したり、歌ったり歌わなかったり、人に優しくしたりしなかったり、人を傷つけたり傷つけなかったり、人を殺したり殺さなかったりするのは全て、ハートが生んだ副作用。極めて個人的で直接的な信号の発生源、しかもハートの中でそれらが全て同時に発生することだってあるんだから…!

話は戻って、犯罪は副作用。では発生源は?自分という個人の外側、つまり社会の側のあらゆるシステムやメカニズム。それが世界の誰かのハートに作用して、副作用として社会のシステムやメカニズムに不適合な行動を取る。そして「その時代の社会不適合者」として逮捕され、投獄される。

副作用に善と悪の区別はない、健全と不健全の区別もない。だから逮捕されても本当は何の責任もないのかもしれない。法を犯した人と犯さなかった人の区別もない。したがって刑務所の塀の内側と外側の区別もない。

ねえフィリップ・マーロウ、犯罪は「病理」なんかじゃなくて「副作用」よ。そう思わない?

※村上春樹訳の本を開いて確かめてみたところ、「病理」ではなく「症状」とあった。症状と副作用、似てるかもしれない。いずれにしても社会の魑魅魍魎なメカニズムがもたらす内的症状(副作用)が外に向かって行動や言動に出たのが犯罪という気がする。少なくとも「病理」ではない。

こうやって書いてみると、私はマーロウやテリーよりも、アイリーンのことが誰よりも気になっていたのかもしれない。心って本当に捉え難いものですね。


#雑記

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