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神道の研究をする過程で思い浮かんだこと、研究成果を徒然と述べます。 研究内容は主に「記…

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神道の研究をする過程で思い浮かんだこと、研究成果を徒然と述べます。 研究内容は主に「記紀」「祝詞」「儀式」「天神地祇皇尊」「神奈備・神籬・神器」「レイライン」「人名・地名・神社名・神名・言霊」「神道の自然と文化と精神」「システム」など

マガジン

  • 神道を自らに照らし考察する

  • 一年二歳暦・春秋暦の年表についての考察

    記紀や古文献の年に関しての記述をもとに、記紀編纂時の暦の考え方、計算ルールを読み解き、一年二歳暦・春秋暦の年表を作成します。 そして記紀と照らし合わせ考察します。

  • 太陽の通る道は神様の想いが通る道

    歴史とともに古来より崇拝される神社や霊山の日の出・日の入りの方角に地図上で直線(測地線)を引き、その線上に現れる神社や陵墓、山や島などの配置が意味を持っていることを確認していきます。そして太陽の通り道から神様の想いを感じていきませんか。

  • 祝詞の考察まとめ

    祝詞の考察まとめ

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神社と神様の信仰と日本文化の考察

神道コラム ~神社と神様の信仰と日本文化の考察~以下のようなことを考察しています。 ・「記紀(主に古事記・日本書紀)」「祝詞」「儀式」「神社の伝承」「古神道」に登場する神様と神社と神器。 ・地理による考察。  古墳・陵墓・史跡 ・信仰としての神道。(これに関してはほぼ主観的です) ・神道が取り入れてきた信仰・神仏習合・渡来の信仰の考察 ・アニミズムの考察(自然現象の恵みと脅威) ・「神話」と「おとぎ」話の考察 ・言霊・用語・名前に関する考察。  高天原・葦原の中国・根の国・底

    • 小倉百人一首を紐解いてみる Vol.0

      口伝で紐解く歴史とは近年、YoutubeやSNSなどの個人が発信できるサービスが普及して、いにしえより代々身内のみに語り継ぐかたちで伝承してきた口伝や古文書という、ほんの一部の関係者のみ知っていた歴史の真実や側面が続々と明かされています。 そして、それらは一般的に知られる歴史というものとは異なっています。 本質として、歴史として後世に残るのは起きた事象の一部の記録しかありません。 公式に認められている歴史の記録というものは記紀などの文献だけではありません。 代々と語り継

      • 古神道の本を読んでみて想ったことVol1

        神道は実践の道であり、神社や神奈備などスピリチュアルスポットに赴くことから、神さまを想う、祭事に参加する、神棚を祀る、祝詞を唱える、浄明正直な生活を心がけるなど、普段の生活習慣に溶け込んでいくまでに実践している人はどのくらいいるのでしょうか。 縁あって神社に興味を持ち、普段の生活習慣に溶け込んでいった自分としては、近年youtubeなどの個人配信が当たり前になって、いろいろな学びを得ることも発信することもできるようになったことを喜ばしく思っています。 筋トレやランニングや

        • 一年二歳計算による春秋暦年表(日本書紀+古事記)について・倭の五王の考察

          一年二歳計算による春秋暦年表(年表B.) 日本書紀の在位の記述+古事記の崩御の干支年を合わせたもの https://docs.google.com/spreadsheets/d/e/2PACX-1vRjSpyWcDfXxX89ZXZrGPAn6jfVEmiFWvo2vDYmUqZfIhjTFuOxOio-SGm4eqsSHtrqQ7QhCw-ZjOwX/pubhtml 倭の五王について 年表B.をもとに導出 讃 〇仁徳天皇~履中天皇~(反正天皇) 珍 〇反正天皇~(允恭

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        神社と神様の信仰と日本文化の考察

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          一年二歳計算による春秋暦年表の二通りの解釈について・日巫女の連続性の考察

          A. 日本書紀のみ https://docs.google.com/.../2PACX.../pubhtml B. 日本書紀+古事記 https://docs.google.com/.../2PACX.../pubhtml 一年二歳計算は日本書紀の即位年だけの計算と、日本書紀と古事記の崩御年を合わせた計算と二通りあるのではないかなと考察しています。 A.だと伊勢の神宮の設立である垂仁天皇二十六年はAD237年となります。 倭姫命が斎宮です。 B.だとAD237年は崇神天

          一年二歳計算による春秋暦年表の二通りの解釈について・日巫女の連続性の考察

          ~太陽の通る道は神様の想いが通る道~vol.番外 日月神示(火土木金水・ひつくノかみ)の示す8月11日のレイライン

          去年の大晦日に日月神示のレイラインの記事を書いて、令和6年元日に大地震が起こったので、日月神示のことが気になり、実際に日月神示の書物を購入してwikiの内容を参考に少し読んでみました。 wikiには日月神示にて奇跡を否定しているとの記述がありましたので、確認してみました。 日月神示には以下の内容があります。 正神が何か奇跡を起こすということを否定しています。 「奇跡」という言葉の意味は、何か超常現象を起こすことだと思いますが、読み解く人の解釈によると思います。 神示である

          ~太陽の通る道は神様の想いが通る道~vol.番外 日月神示(火土木金水・ひつくノかみ)の示す8月11日のレイライン

          ~太陽の通る道は神様の想いが通る道~vol.32 令和23年辛酉年辛酉日の日月神示のレイライン

          日月神示(ひつくしんじ)は天之日月神を祀る延喜式内社で「麻賀多神社」の末社である「天之日津久神社」に、神典研究家で画家でもあった岡本天明に「国常立尊」という高級神霊からの神示を自動書記によって記述したとされる書物です。 仕事で災害対策について調べていたことと、未来人や予言での大災害についての動画を観て、南海トラフ地震や津波等の災害について関心があったことに合わせて、このTOLAND VLOGのyoutube動画をきっかけで日月神示に興味を持ちました。 日月神示の名に日と月が

          ~太陽の通る道は神様の想いが通る道~vol.32 令和23年辛酉年辛酉日の日月神示のレイライン

          ~太陽の通る道は神様の想いが通る道~vol.31 令和5年の伯耆大山のレイライン

          神在月の出雲で気付いた伯耆大山の存在感から、出雲地方にとっての神奈備は伯耆大山であると感じたのでレイラインを確認してみることにしました。 伯耆大山にある「大神山神社」の御祭神は大穴牟遅神(本宮)と大己貴神(奥宮)で「大神山」の名より三輪山の大神神社との関連性が感じられます。 本社春祭は4月29日、奥宮春祭は5月24日だそうです。 かつて後醍醐天皇が隠岐に流されていた際に、伯耆大山を祈りを込め眺めていたと思われます。また、隠岐から脱出した際は伯耆大山の麓の名和港にたどり着き

          ~太陽の通る道は神様の想いが通る道~vol.31 令和5年の伯耆大山のレイライン

          ~太陽の通る道は神様の想いが通る道~vol.30 令和5年の出雲の神在月のレイライン

          令和5年の出雲大社の神在月に執り行われる神事は以下の通りです。 今年の11月23日は神在祭と古伝新嘗祭が同じ日に執り行われる有難い日となっています。 そこで今回は実際に神在月の出雲に行ってまいりました。 2023年11月22日(旧暦十月十日)の午後7時に稲佐の浜で「神迎祭」の神事が執り行われます。この神事の後、ご到着された神々は御使神「龍蛇神」さまをご先導として稲佐の浜から出雲大社まで御神幸なされます。「神迎えの道」を通り「勢溜の大鳥居」をくぐり拝殿(例年は神楽殿)で奉迎

          ~太陽の通る道は神様の想いが通る道~vol.30 令和5年の出雲の神在月のレイライン

          令和5年神在月の出雲旅を思い立つ

          初めて「神在月」に人生3度目の出雲に行くことにしました。 2023年(伊勢の神宮成立237年+19年×94)、自分の誕生日で、出雲の新嘗祭と神在祭が同じ日に執り行われる日に 神様の集まる日と場所の、出雲を感じてきます。 レイライン研究の大きなきっかけの一つが出雲大社で、 御本殿の向きがなぜ西側を向いているいるんだろうというSNS(2019年7月中旬)の記事を見て、理由を少し考えたとき、東を向いて祈るから東に何かあるんじゃないか、昔は高さが100mと高いので遠くにある三輪

          令和5年神在月の出雲旅を思い立つ

          【考察】【卑弥呼】伊勢の神宮の成立(垂仁天皇二十六年の丁巳年冬十月甲子の日)がAD237年だった場合

          魏志倭人伝の卑弥呼に関して 伊勢の神宮の成立の年月日を以下の記事で特定しましたが、 そのときに使用した春秋暦(一年ニ歳暦)表の年表を改めて見直す過程で、卑弥呼(日巫女・日御子は役職名)の年表メモを見て、以下のことに気づきました。 伊勢の神宮の成立の翌年に使いを送っているので、倭姫命が魏志倭人伝の卑弥呼ではないかと。 倭姫命と倭建命の関係と臺與(とよ)に関して ただ、倭姫命=卑弥呼の場合、卑弥呼はAD247年に亡くなられているので、倭姫命は景行天皇の御世に倭建命(ヤマ

          【考察】【卑弥呼】伊勢の神宮の成立(垂仁天皇二十六年の丁巳年冬十月甲子の日)がAD237年だった場合

          ~太陽の通る道は神様の想いが通る道~vol.29 伊勢の神宮の垂仁天皇二十六年の丁巳年冬十月甲子の日のレイライン

          vol.28 渋川春海と神嘗祭レイライン令和5年版で綴りました春秋暦(一年ニ歳歴)で調べてみました。世紀の発見?でしょうか。 内容は以下の通りです。 日本書紀の伊勢の神宮の成立の日に関する記述 「丁巳年冬十月甲子」を自作の春秋暦(一年ニ歳暦)表と照らすと、 を垂仁天皇の時代は西暦226年ごろから、西暦276年ごろまでなので、その間の丁巳年を調べました。 するとAD237年がありました。 春秋暦(一年ニ歳暦)表では「垂仁天皇二五年」はAD238年となっていましたので大体

          ~太陽の通る道は神様の想いが通る道~vol.29 伊勢の神宮の垂仁天皇二十六年の丁巳年冬十月甲子の日のレイライン

          ~太陽の通る道は神様の想いが通る道~vol.28 渋川春海と神嘗祭レイライン令和5年版

          神嘗祭(かんなめさい・かんなめのまつり・かんにえのまつり)は、宮中祭祀のひとつで。伊勢の神宮では最も重要な祭事です。 令和5年の神嘗祭は10月15日から始まり、16日の正午に外宮、17日の正午に内宮にて、奉幣の儀が執り行われました。 今年は10月15日が日曜日でしたので伊勢に参拝へ。倭姫宮に参拝に立ち寄った際に、パンフレットで倭姫宮前にある神宮徴古館にて展示が行われていることを知り、倭姫宮がご鎮座百周年ということなので折角だからと立ち寄ってみました。 その展示品の中で渋

          ~太陽の通る道は神様の想いが通る道~vol.28 渋川春海と神嘗祭レイライン令和5年版

          ~太陽の通る道は神様の想いが通る道~vol27.秋分の日のレイライン

          令和5年の9月23日は秋分の日です。 春分の日は春季皇霊祭(しゅんきこうれいさい)、秋分日に秋季皇霊祭(しゅうきこうれいさい)が、先祖を偲ぶ祭事として宮中及び各地の主要な神社で斎行されます。 また春分の日、秋分の日を中日として前後3日間、合わせて7日間ずつが「お彼岸」と呼ばれます。「彼岸」は仏教用語で、煩悩の流れを超えた彼方の岸の涅槃の地、つまり悟りの境地を表します。お彼岸といえばお墓参りと定着しているように、古来より先祖を偲ぶ日でもあります。 春分と秋分の太陽はほとんど

          ~太陽の通る道は神様の想いが通る道~vol27.秋分の日のレイライン

          ~太陽の通る道は神様の想いが通る道~vol26. 令和5年旧暦お盆のレイライン

          お盆は、明治に太陽暦が採用されるまでは旧暦(太陽太陰暦)の7月15日にあたる中元節の日に祝われていました。 明治に太陽暦が採用されると新暦7月15日は農繁期と重なって支障が出る地域が多かったため、新暦8月15日をお盆(月遅れ盆)とする地域が多くなりました。 そして終戦の日の8月15日と重なり、祖霊を祀り、戦没者を追悼し平和を祈念する日として定着しています。 今年の旧暦の7月15日は新暦の8月30日にあたります。 お盆は、日本古来の祖霊信仰と仏教が融合した行事だといわれていま

          ~太陽の通る道は神様の想いが通る道~vol26. 令和5年旧暦お盆のレイライン

          石灰石の神秘性

          石灰石には興味深い謎があります。 なぜ、ピラミッドに石灰石が用いられたのでしょうか。 白さが印象的なのでしょうか。 ほかにも、ローマやギリシャにある神殿にも石灰石が使われています。 神宮に行くと綺麗な白い石が敷き詰められている光景を観ることがあります。それも石灰石かもしれません。 このように神秘的な場所や古くからの大きな建造物に利用されています。 また、鍾乳洞も神秘的ですが、土壌の二酸化炭素を含んで酸性になった水が、石灰岩の割れ目に入り込み、岩を溶かしてできたものです。

          石灰石の神秘性