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~太陽の通る道は神様の想いが通る道~vol.28 渋川春海と神嘗祭レイライン令和5年版

神嘗祭(かんなめさい・かんなめのまつり・かんにえのまつり)は、宮中祭祀のひとつで。伊勢の神宮では最も重要な祭事です。

令和5年の神嘗祭は10月15日から始まり、16日の正午に外宮、17日の正午に内宮にて、奉幣の儀が執り行われました。

今年は10月15日が日曜日でしたので伊勢に参拝へ。倭姫宮に参拝に立ち寄った際に、パンフレットで倭姫宮前にある神宮徴古館にて展示が行われていることを知り、倭姫宮がご鎮座百周年ということなので折角だからと立ち寄ってみました。

その展示品の中で渋川春海の名前と、著書「日本書紀暦考」の説明書きが目を引きました。
渋川春海(1639~1715)は江戸時代のすごい天文学者なのですが、囲碁打ちの家に生まれ育ったため囲碁の逸話もあり面白い人物です。

囲碁の打ち方へも天文の法則をあてはめて、太極(北極星)の発想から初手は天元(碁盤中央)であるべきと判断している。寛文10年10月17日(1670年11月29日)の御城碁で本因坊道策との対局において実際に初手天元を打っており、「これでもし負けたら一生天元には打たない」と豪語した。しかしこの対局は9目の負けに終わり、それ以後、初手天元をあきらめることとなった。

ウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/渋川春海

そして、唐の宣明暦を改正した新暦貞享暦を作り、初めてわが国独自の暦法(春秋暦を含めない場合)を施行した天文学者です。囲碁と神道に通じる天文学者として幕府に認められ、初代幕府天文方となりました。
将軍家光の時代なので大河ドラマでも活躍できる人物じゃないでしょうか。

展示の説明書きは、著書「日本書紀暦考」において垂仁天皇26年の欄にて「一云十月甲子九月十七日也至乎今内宮祭日也」と記述しており、垂仁天皇26年9月17日内宮にて祭祀がはじめられた日としていました。

旧暦の9月17日は明治以前の内宮の神嘗祭の奉幣の日のため、もしかすると日本書紀暦考が根拠になっているかもしれませんね。
ただ、春秋暦(一年ニ歳歴)だといつになるのかも調べてみたいところです。

かつては9月11日(旧暦)に勅使に御酒と神饌を授け、9月17日(旧暦)に奉納した。1873年(明治6年)の太陽暦採用以降は新暦の9月17日に実施となったが、稲穂の生育が不十分な時期であるため、1879年(明治12年)以降は月遅れとして10月17日に実施されている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/神嘗祭

というわけで、令和5年の旧暦と新暦の神嘗祭のレイラインをご覧ください。

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