試される測候精神

今年の春、お天気界隈をざわつかせるニュースが飛び込んで来た。大阪管区気象台の標本木の枝が1本折られたと言うもの。幸いにして樹勢、引いては観測に影響を及ぼすものではなかったが、しかし枝が1本されど枝が1本である。測候精神(=その時の天気や天候はその時にしか観測できない)の理念を脅かす行為であり、もちろん断じて許されるものではない。

ただ一方で「気象台のサクラだからこそ注目を浴びた」とも言える。
あるときは軍事機密にされ、ある時は命懸けで(命を使い捨てにして)観測を行い、ある時は全国で委託観測をしていた気象観測であるが、現代はすっかり機器による自動化・遠隔化が進んで久しい。気象台や測候所ですら人による観測をやめる時代である。「観測」とは名ばかりの機器による「測定」にすっかり置き換わっている。

そしてそこにインターネットの普及による「市場化」の波にすっかり飲み込まれてしまった。
(前置きが長くなりましたがここからが本題です。)

実は数年前から気象庁が展開する地域気象観測所の場所が、スマホひとつで誰でも手軽に調べられるようになっている。以前からも気象庁のサイトの情報をもとに、ある程度の場所は調べることが出来た。しかし、いよいよピンポイントで辿り着けるようになってしまったのだ。
筆者もかつては気象庁のサイトや個人のブログの情報、それに地図を両睨みしながら探し回ったものだが、場数を踏むごとに段々と「勘」が働くようになった。
しかし今やどうか。「勘」などに頼らず現地に赴かずとも、いとも簡単に露場と周辺の雰囲気を確認できるようになってしまった。もちろんそれでも現地に赴き、リアルを確認する価値はあるがそれにしてもである。

この現状をどう見るか。筆者の考えは2つである。
(1)冒頭で述べたように悪さを働く輩がいるかも知れない。無闇に晒して欲しくない。
(2)一方でこのネット全盛の時代に規制するのは現実的ではない、とも思うのである。

(1)は分かり易い。(2)は少し解説が必要だろう。
ネットは「基本的に自由であり、あらゆる規制を嫌う世界」である。より正確に言えば「悪事を働いた者は、個別に処罰する」と言う考えである。
例えば観測所の機器に何らかの障害を負わせれば、それは気象業務法で処罰される。だからと言って観測所の場所を晒すことは一律に規制しない。
謂わば個人の自由と責任に委ねるのである(もちろんストーカーやリンチなど規制が必要な場合もある)。

そしてもう一つ、これこそ測候精神が問われるのかも知れないが、測定環境が必ずしも適切ではない場合である。お天気界隈にはダメダスと言うスラングがある。何故こんな環境で測定をしているのか疑問に思わざるを得ない観測所が少なくないのである。
本来、気象庁の気象観測は環境測定などではなく、周辺十数kmのフィールドの代表として行うものだ(地域代表性)。しかも観測記録は永久に保存される。

もちろんそこに観測所が置かれている経緯もあるだろうし、立地する自治体の認識不足と言うのも有るかもしれない。気象庁だって観測所ごとの「クセ」として観測を続けていることだろう。しかし、果たしてこの現状のままで良いのか、あえて晒して置いた方が良いのではないかとも思うのだ。

いちおう観測所の場所をネットに晒すことによるデメリットをもう一つ挙げておく。観測所の中には明らかに個人の土地に置かれているものも少なくないのだ。公的機関の土地だから良いと言うものではないが、こと個人の敷地ならば尚更慎重な対応が求められるのは言うまでも無いだろう。
無論、それも含めての「悪事を働いた者は、個別に処罰する」なのかも知れないが。

気象衛星やゾンデ、気象レーダー、市民科学など飛び道具による測定が持て囃される一方で、気候危機、人新世とさえ言われる今日。改めて測候精神が問われているのかも知れない。

皆さんはどう思うだろうか。