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アヘン王国潜入記ー1


またまたアマゾンリンクは貼れなかったので、タイトルのみ宣伝しておきます(^-^;
 小説→体の中に耀る月/二尋



高野秀行さんは、この間高橋源一郎さんの、飛ぶ教室というラジオのゲストに招かれていました。

アヘン王国潜入記ー1





探検家・高野秀行さんが、ミャンマーワ州のとある村に、11月から4月まで、ケシの種まきから出荷まで逗留した記録です。


七味山椒など煎ったものは違法でないので、アヘンがそのケシから採られることは有名ですね。


この本は、三十年ほど前の昔の本ですけど、現在も続くミャンマーの少数民族問題をもっとちゃんと調べようと思う良いきっかけになります。



今とは少し事情が変わっている部分も多分にあるでしょうが、本作品の中で印象深いところを取り上げていきます。


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ワ州で生産量が多い理由は大きく言って二つある。一つはアヘンがアヘンゲシ [学名 Papaver〕というケシから採集されることにある。このケシは日当たりと水はけがよく、気候が冷涼かつ乾燥した土地

を好む。とくに適しているのは熱帯に属する標高千五百~二千メートルの山岳地帯であり、ワ州はこの条件を完全に満たしている。

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高野秀行さんの本が、単なる旅行記やニュースとは違ったものになる理由が感じられる記述がこちら。



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(高野秀行さんがジャーナリズムに違和感を抱くのは)

多くのジャーナリズムというのは上空から見下ろした俯瞰図だということだ。


べつな言葉に置き換えると、客観的な「情報」である。「木を見て森を見ず」という戒めに忠実に従っているのだろうが、悪くすれば「森を見て木を見ず」の姿勢ともなる。それは不特定多数の人に伝わりやすいが、手で触ることができない。


おそらく、私と彼らとの方法論のちがい、もしくは性分のちがいなのだろう。あるいは単に私がジャーナリストの能力に欠けているだけかもしれない。が、とにかく私としては、一本一本の木を触って樹皮の手ざわりを感じ、花の匂いや枝葉がつくる日陰の心地よさを知りたかった。


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私のような物知らずが基準の感想で大変申し訳ないのですが、「ミャンマーの少数民族問題」って一口に言うとマジョリティーがマイノリティを苛めているだけで単純な感じがしますけど、歴史と利権が絡みかなり複雑です。


百五十弱の規模様々な少数民族がいて、平地の住む場所を追われ、土壌の良くない高所に住まざるを得ない山岳民族にとって、中国やロシアの保証だけに頼らずに商売するとしたら、ケシ栽培の選択肢しか残らないっていう。


健全な農業に移行したタイとは事情が異なる、というのですね。  


官僚国家でミャンマー政権がケシに税をかけ、ピンはねしたりして、汚職は誰もがやっていると目こぼしすれ、少数民族の貧農が汗水たらして作ったケシの、流通ルートをほしいままにして、ヘロインに加工して利益を得る。



…この本を読んで、北朝鮮よりも政治腐敗、国民の貧困は、深刻なんじゃないの?と思いました。


高野秀行さんがマラリアにかかり、ブドウ糖点滴で症状を弛めてなんとか乗り切るシーンでは


「宣伝隊」という徴兵に取られた「女性」が、エイズに感染して返ってくる例がある、と、


意識朦朧のなかでも、点滴に使う針を気にする様子が描かれています。


まるで「売血村」です。 


中央の圧政が度を越していれば、少数民族にとって独立自治が良いということになるけど、「ソマリランド」と同じで、離婚したとて経済的に独立しなきゃ、暮らしが良くなるとは限らない。


民族独立を、外野がナショナリズムを重ねて応援してみたところで、絵に描いた餅。


北朝鮮は、威嚇行動が問題視され諸外国から構ってちゃんだと言われているし、今は融和政策を取っていなくて、恐怖政治を強いているように見えるし、実際そうなのだろうけど、


ミャンマーの少数民族の文明レベルとは、比べられない気がした。


国の中心部でも、電気を中国から買っていて、村には電気なんて通っていなくて、囲炉裏の火が絶えると、隣の家などから種火をもらってくる。ガスどころか乾燥した木じゃ燃え尽きるのが早いから、炭が良い、とか、いろいろと


高野秀行さんが半年ほど逗留した村の文明レベルは、本当に20世紀後半、なのか?という話だった。








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