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有罪率99.9%の重み…

  このレイプ犯罪での無罪判決について書くのは、最初に書いてからこれでもう4回目になるが、ちょっと興味深い鼎談を目にする機会があったので、先ずはこれを読んでみてほしい。

  勿論、前半の「人質司法」の問題も重要なのだが、後半の「性犯罪無罪判決」についての三人の弁護士のやりとりがとくに興味深い。

    私も前にも書いたが「合意があったと誤信した場合(過失犯)」への処罰云々といった性犯罪についての専門的な法判断の部分もあるのだが、それ以上に刑事裁判の現場で弁護人として働いている彼らの「裁判で無罪判決が出るということは、よっぽど有罪には出来ない事由があったのだ」という共通の認識、謂わば刑事弁護人の現場感覚にハッとさせられたのだ。

   確かに日本の刑事裁判の有罪率99.9%とよくいわれる(実際には99.79%というデータもあるが)。それどころか、被告が無実や無罪を訴えている否認事件の裁判でも無罪率は2.34%。つまり、被告がどんなに「私はやっていない」と言っても97.66%は有罪になるのが日本の裁判なのだ。

   その刑事裁判の現実の中で、被告を無罪にする為に弁護人として働いて来た彼らにとっては、どうやっても無罪になる事はほぼあり得ないこと。何でもかんでも検察の言う通りに有罪にしてしまう裁判官や裁判員の裁判で無罪になる、つまり、有罪に出来なかったという事実には絶対に有罪には出来ない事由があった筈、という確信があるのだろう。

  事実、御殿場事件のような信じがたい判決もあるし、ほぼ実話を基にした「それでもボクはやってない」という映画もあるように、性犯罪に冤罪がない訳ではない。

    勿論、今回、無罪になった一連の事件は、全く事実無根という冤罪ではなく、レイプという行為はあったのに無罪になったからこそ、多くの人々が納得出来ないでいる訳だが、法律に定めた罪の要件を満たしていなければ無罪にせざるを得ないのは確か。この「罪刑法定主義」“無実と無罪は違う、無実ではなくても無罪にすべき場合はある”という刑事裁判の原則はやはり理解しておきべきなのだろう。

    また、私たちは勿論、無罪判決を批判するマスコミも裁判を全て傍聴するどころか判決文さえ読んでいない訳で、ほぼ事件についても裁判についても何も知らないに等しい。その中で性犯罪であっても無罪判決を批判することにはやはりもっと慎重になるべきだし、彼ら弁護士が刑事裁判の現場で弁護人として感じて来た、この国の刑事裁判での「有罪率99.9%」の重みは私たちももっと理解すべきなのかもだ。

                                                                                 ※Photo by Pixabay

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