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日韓併合は「侵略による植民地支配」なのか

日本が韓国を「侵略して植民地化した」とする主張をよく目にしますが、植民地と聞くと悪いイメージに捉えてしまいます。果たして日本の韓国併合(統治)は侵略なのか、悪いイメージの植民地のようにしたのか、欧米列強との植民地を比較してみましょう。

侵略について

まず、日本は大韓帝国に対して武力の行使をしていませんので侵略ではありません。また、日本は韓国と戦争したと認識をしている人がいますが、それは大間違いです。戦争していません。(引用:侵略の定義に関する決議

条約の強制および無効

韓国や北朝鮮、日本国内の左翼思想の人達は、どうにかして日本の統治を悪い事にしたいので「韓国併合ニ関スル条約」は不法、無効とし賠償しろ!と主張します。韓国政府傘下の国際交流財団の財政支援のもとに、韓国の学者たちの主導で準備された、アメリカのハーバード大学のアジアセンター主催で開かれた国際学術会議、韓国併合再検討国際会議がまさにソレでしたが、参加した欧米の国際法学者から反論されました。

イギリスのケンブリッジ大学のJ・クロフォード教授(国際法)は「自分で生きていけない国について周辺の国が国際的秩序の観点からその国を取り込むということは当時よくあったことで、日韓併合条約は国際法上は不法なものではなかった」とし、また韓国側が不法論の根拠の一つにしている強制性の問題についても「強制されたから不法という議論は第一次世界大戦以降のもので当時としては問題になるものではない」と反論されたほか、併合条約に国王の署名や批准がなかったことについても、国際法上必ずしも必要なものではないとする見解が英国の学者らから出された。

このように韓国政府の息が掛かった国際会議で、欧米の学者からは「韓国併合ニ関スル条約」は国際法上、まったく不法では無く、かつ有効であると言われてますし、冒頭に記述した通り日本は大韓帝国を侵略していない事も分かりました。

では、肝心の中身の部分です。果たして日本は統治した際、朝鮮人の人達に悪逆非道な事をしたのか、先ずは欧米諸国の植民地を見てみましょう。引用は「欧米植民地の
残虐さ
」から一部引用します。

アボリジニ殺しは20世紀に入っても続き、ニューサウスウェールズ州立図書館に残された資料には、1927年の日付で「今日の収穫アボリジニ17匹」とある。当時は日曜日にみんなでアボリジニ狩りをしていた。《高山正之 正論2008/9月号》

米国はフィリピン人に「スペインの植民地支配を終わらせる」と嘘を言ってマニラに進出し、スペインに代わって植民地にした。話が違うと抵抗するフィリピン人を米軍は徹底的に殺しまくった。米上院公聴会では、殺した島民数を20万人と報告している。《高山正之 週刊新潮2006/4/20》

オランダのインドネシアに行った植民地政策は、愚民政策・貧民政策だった。そのため貧困にあえぐインドネシア人の平均寿命は、35才にまで低下したといわれる。《藤岡信勝「教科書が教えない歴史〈2〉」》

蚊に刺されて化膿し、血や膿を全身に流して働く現地人に、薬ひとつ与えなかった。性病が蔓延して、街ゆく男たちの鼻骨が露出しているのは珍しくなかったが、衛生教育ひとつ行わなかった。(オランダ人だけは完璧に衛生的な環境で生活していた)そのためであろう。日本軍が入ってきたときには、地鳴りがするような歓迎のどよめきが湧き起こったと言う。《小川義男 正論2005/12月号》

最後を見ると、本当か?と思われるかも知れませんが、南京戦で日本軍が入城した際も同様の事が起きた事実があります。それほど酷い事が欧米植民地や中国国内で起きていたのです。では、日本の統治はどうだったのか見てみましょう。

日本統治の実情

まず、韓国併合に伴い朝鮮総督府が設置されます。朝鮮総督府は、1910年(明治43年)の韓国併合によって大日本帝国領となった朝鮮を統治するため、同年9月30日に設置された官庁です。

朝鮮総督府は李氏朝鮮時代には存在しなかった高等教育や義務教育制度(日本統治時代の朝鮮の教育(朝鮮語版))や戸籍制度などの近代的な社会制度の整備を行い、公立学校では朝鮮語は必須科目でした。

また、1937年には、李氏朝鮮時代から続く白白教を白白教事件で取り締まっています。(引用:白白教

1909年に導入した戸籍制度で李氏朝鮮時代、人間とは見なされず、姓を持つことを許されていなかった白丁などの賤民にも姓を名乗らせて戸籍には身分を記載することなく登録させています。これにより、身分開放された白丁の子弟も学校に通えるようになりましたが、身分解放に反発する両班は激しい抗議デモを繰り広げたが、身分にかかわらず教育機会を与えるべきと考える日本政府によって即座に鎮圧されました。

両班は、高麗、李氏朝鮮王朝時代の官僚機構・支配機構を担った支配階級の身分の人達のことです。

1906年の時点では小学校が全国で40校未満しかなく、両班の子弟は私塾で漢籍(漢文で書かれた書籍)の教育を受けていました。

朝鮮総督府の初代統監である伊藤博文はこの状況を、大韓帝国の官僚に対して「あなた方は一体何をしてきたのか」と叱責し、学校建設を改革の最優先事項とし、伊藤博文が推進した学校建設事業は併合後も朝鮮総督府によって継続。朝鮮における各種学校は1940年代には1000校を超えました。そして教育内容の整備を進め、日本語、朝鮮語をはじめ算数、日本史、朝鮮史、修身などの教育を公立学校を中心に展開したのです。

しかし、多くの学校を作り、朝鮮語を必須科目にし、自分達の朝鮮の歴史を学ぶよう奔走した伊藤博文は、1909年にハルビン駅で朝鮮民族主義活動家の朝鮮人・安重根に暗殺されました。

このように教育や戸籍制度の導入だけ見ても、欧米諸国の植民地政策とはかけ離れているのが分かります。経済も日本企業を誘致するなどをして豊かになっています。どのように豊かになったか画像で見てみましょう。まずは李氏朝鮮時代から。

ご覧の通り、劣悪な環境であったのが分かります。韓流ドラマのイメージで思っる人には衝撃的でしょうが、李氏朝鮮時代と画像検索すると沢山出てきます。ご興味ある方は検索してみてください。

日本は清国と戦争(日清戦争)をして清国に戦勝した事で日清講和条約(下関条約)で、李氏朝鮮を清国から完全独立させ大韓帝国を成立させました。ですが、イギリスのケンブリッジ大学のJ・クロフォード教授(国際法)の言った通り、大韓帝国は「自分で生きていけない国」だったのです。では、日韓併合後の統治時代の様子を見てみましょう。

日本は従来の欧米諸国のような悪逆非道な植民地政策では無いのが見て分かります。私が思うに、これらの日本政府の政策は朝鮮人自身による自立した自主独立国家再建の為だと考えています。

何故かと言うと、日本はパリ講和会議で差別撤廃を訴え、欧米列強の植民地支配されていた地域を占領し、独立させているからです。それほど欧米列強の植民地支配は許しがたいほど酷いものだったのでしょう。

独立した国は今では親日国です。インド、台湾、ラオスなど。ですが、北朝鮮や韓国はどうでしょう。韓国に至っては朝鮮語を必須科目にし普及させた伊藤博文を暗殺した人物を英雄と崇めるほど。

よく歴史修正主義と聞きますが、本当の事を知ればどちらが歴史修正主義なのか分かるでしょう。いつになったら「まとも」になるのか…。

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