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AV新法問題やColabo問題から見えるリベラルを偽装する人達 - リベラルとは -

政治関連の情報を追うとメディア等から、リベラルとされている人達の中には、発言から垣間見える思考が左翼的なのにリベラルと扱われて、今の主流・スタンダードかのように印象操作がされている。

それは保守とされる中にも右翼的な言動をしてるのに、保守というマイルドな表現に偽装され、政治家を含める多くの人達に間違った歴史や認識の影響を与えている事に私は常に問題意識を持っている。

例えば、不正会計問題とされているColabo代表 仁藤夢乃をリベラルと扱われる事で仁藤夢乃の思考が、今の主流・スタンダードかのように勘違いしてしまい、気が付いたら社会・共産主義や中核、極左などの政治運動に参加した事で公安監視対象となる危険性がある。(事実、米軍基地反対運動は監視対象となっている。)

それは逆も然りで、昭和天皇も上皇陛下も軍部(大本営)の暴走と認識しているのに、保守系媒体や言論人らによる軍閥擁護や嫌中・嫌韓煽り等が保守のスタンダードや保守本流かのように間違った認識が植え付けられてしまっている。

このように偽装する事で政治家も誤った判断をしてしまい「AV新法」のような悪法を立法してしまったり、党内社会・共産主義の参政党を保守や党内民主主義とする事で情弱や思考停止を勘違いさせて、お金と時間を無駄に浪費する被害者が出るという実害が起きる。

そういった事が少しでも抑えられるように今回、私の考えるリベラルとは何なのかという解説をしてみるので、一つの参考にして欲しい。

思想では無くて視点

一般的にリベラルとはWikipediaでは下記のようにされているが、私の考えるリベラルとは如何に公正・公平に物事を捉えるかという視点と言える。

リベラル(英: liberal)とは、「自由な」「自由主義の」「自由主義者」などを意味する英語で、政治思想の分野では主に以下の2つの意味で使用されている。 政治的に穏健な革新をめざす立場。 1930年代以降のアメリカ合衆国から広がった用法で、社会的公正や多様性を重視する自由主義。

Wikipedia リベラル

如何に公正・公平に物事を捉えるかの視点になるので傍から見ると結果、どっち付かずであったり、どっちの味方だよと思われてしまうだろう。

しかし、それはリベラルをイデオロギーとして捉えているからであって、リベラルをイデオロギーでは無く「視点」とする事で整合性はつく。

私からするとイデオロギーによる政策・安全保障などの対立など旧石器時代の考えであり、対立は現状維持と衰退にしかならないばかりか、国民や国家のために良いものを生み出す・良い方向に進める事にはならない。

その為には如何に公正・公平に物事を捉えるかというリベラルな視点は政治の世界では重要と言え、特に国家運営においてリベラルな視点を持たない人物らを据えるのは危険と言えるだろう。

リベラルな視点というのは元々は人が備えているモノなのだが、色々な経験や年齢を重ねていくにつれて実践するのが難しくなることを分かりやすく説明しよう。

これをパっと見て頭に浮かんだのは「左右が真ん中をイジメ(攻撃)してる」と多くの人はイメージしたと思うが、リベラルな視点は左右や真ん中に属性や設定を設けてみたらどうなるだろうか?

【①】真ん中を2022年7月参院選中に安倍晋三元首相を殺害した山上徹也容疑者という設定にした場合、あなたは左右の行為について、どう感じるだろうか?

【②】真ん中を親が統一教会信者で財産を使い果たし、バイト代や給与の大半を親に取られて人生が滅茶苦茶になった統一教会信者二世という設定にしたら、あなたは左右の行為について、どう感じるだろうか?

わざとイメージしやすい表現にしたが、このように設定や属性が加わったり、感情やイデオロギー、印象操作・ミスリードまたはフェイクニュースなどによって簡単に視点が傾いてしまうので、如何に公正・公平に物事を捉えるかという事が難しいと言える。

①②をリベラルに判断するなら「どのような人生(背景)があったとしても他人を殺害する正当な理由にはならないし、かと言ってイジメ(攻撃)を正当化する理由にはならない。」が正解になるだろう。

もう一つ異なる例え話しをしてみよう。

【③】身体的能力と技術を高めた男性・女性が同性同士で競い合う国際的祭典があり、その祭典に女性の心を持つ男性が女性として出場したことを、どう思うか?

リベラルに判断すると、その国際的祭典は身体的能力と技術を高めた男性・女性が同性同士で競い合う祭典であり、もともと身体的能力の差がある男性が女性として出場することは公平ではない、となるが、ジェンダー平等の人からすると違う答えが出てくるだろう。

このように、リベラルな視点というのはファクトを基に上記でも触れた感情やイデオロギーなどの要素を入れずに当事国又は対象の憲法や法律、ルール等を交えて判断する事となる。

重要なファクトについて

リベラルな視点を保つには、どのような事案・事象でも判断する時は頭の中をフラットにしてファクトを基に判断する事が重要と言えるのが分かって頂けたと思うが、ファクトと聞くと真実とか事実というイメージを持つ人が多いだろうが、ここで言うファクトは違う。

ここで言うファクトを「AV新法」で例えると、こういうAV出演の被害者がいると言うのがファクトでは無く、AV出演の契約などの実態調査の結果がファクトと言う事になる。当然、この実態調査は双方に関係が無い第三社による実態調査が前提となる。

前者をファクトにすると、弱者製造スキームを作り、公金チューチューしたい人らに都合の良い悪法が出来上がると言う結果になり、後者では大手AVとアングラの個撮AVの出演契約や女優のケア等が違うのが分かり適正な規制法を立法する事ができる。

このようにファクトが如何に重要なのかは過去の歴史からでも学ぶ事ができる。

GHQ占領時、日本の公娼制が民主主義的(本人の自由意思)では無いとして廃止をしようとし、GHQによる実態調査をした所、多くの公娼が本人意志により契約している又は継続している結果が出たが、GHQにより公娼制が廃止となった事で逆に性風俗で働く女性が多くなり性病も増えたという歴史がある。

この他にファクトを見誤ったケースは過去にも起きており、ファクトを見誤らない為にも頭の中をフラットにする事が重要と言える。

「多様性を認める」では無い

リベラルとされる左翼(以下、偽装リベラルと言う)は、よく多様性を認めろと言うが、アメリカのように多様性を認めた結果、何かがキッカケとなり多様性の衝突が起きる等などの諸問題がある。

そもそも偽装リベラルらは口を開けば、日本が住みにくい、多様性を認めて無い等を言うが、それなら住みにくく多様性を認めない日本に何故、コロナ前は約2000万人以上の外国人旅行者が来日していたり、永住者が増え(令和2年6月末の発表では80万872人 対前年末比7,708人(1.0%)増)ているのだろうか?

日本の文化が好き、日本の雰囲気・自然環境が好き、日本は安全だから好き、日本のインフラがいい(水が出る等)、日本の食べ物が美味しいなどなど色んな理由で日本に来ている。

偽装リベラルは多様性を認めない、住みにくいなどと言っているのに?なぜ?

それは恐らく、多様性を認める(権利の拡充・付与)ことにより、外国人への参政権(選挙権)付与という最終目標の為の運動論と言えるだろう。

「市民参加を進めるため、常設型の住民投票制度の確立を目指す。豊かで多様性ある市民の力がしっかり生かされるよう市民参加や協働の取り組みを進めたい」

松下玲子 武蔵野市長

武蔵野市の住民投票条例案は住民投票権であって選挙権では無いのだが、外国人による地方自治の関与を多様性を認めるために変えようとする事が現実に起きている。

では、リベラルの言う多様性とは何なのか。

民族・人種も関係無く、歴史感情なども無く公平・公正に物事(当事国の憲法や法律やルール・秩序など)を捉えて判断できる人達が集まれば、気が付いたら多様性のある社会になったと言うのが、私の考えるリベラルの多様性である。

世界には多種多様な人種や宗教があるのに、それぞれの多様性を認めて権利拡充や追加をしていけば、どのような社会になるのか馬鹿でも想像ができるだろう。

平等という考えはリベラルでは無い

これまで書いた内容を理解した人なら、偽装リベラルの言う平等と言うのは社会主義(社会民主主義・社会自由主義)らの格差のない(平等)運動論と言うのが分かって貰えたと思う。

主権国家において国民と国民以外のように憲法を見ても違いがあるのは当然であり、有する権利も異なるのは当たり前の話しである。

また、男性と女性では身体機能も当然異なるし、筋力も異なる、身体能力も異なるのは馬鹿でも分かるだろう。

本質は左翼なのにリベラルに扮しているから、フェミニズムやジェンダー平等を語るとボロが出て、ツッコミを入れられ、それに対して差別と言う。

男性(女性)が実は男性(女性)が好きなどを親にカミングアウトをしたとして何をして貰いたいのかは理解・配慮であり、私らの育て方が悪かった等の拒絶では無いのは社会という場になっても同じと言える。

だからこそ男性用と女性用のトイレ(風呂)しか無くて…という話しがあり、それは相手側に理解・配慮を求めていると言えるのだが、何故か偽装リベラルが絡むと権利の話しになる。

それは何故かと言うと運動論で世論構成して権利獲得した後、一部の人間らが既得権益側になるのが目的だからだろう。

例えば、暇空茜が発信しているColaboや若草、ばっぷす等の情報を追えば、運動論(被害女性救済)から世論構成(デモなど)して権利獲得(委託・助成金・法律)した後、どう運用するのか?という危ない所までなっていた事実がある。

話が逸れたので戻そう。

日本国憲法では「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。…」とあり、これは全ての国民に生まれながらにして平等に基本的人権(日本国憲法で定められる)があると言えるが、リベラルな視点で見ると、こうなる。

実際は子供はある年齢までは保護者(親権者)の管理下に置かれているので、生まれながらにして基本的人権を享受してる(平等)とは言えないが、子供は大人と違い正常な判断ができない等の理由で定めた年齢まで、日本語の上達速度に関係無く保護者(親権者)の管理下に置かれ、定められた年齢以上になったら他の大人と同じく享受されるので公平と言える。

このように、棲み分け(区別・カテゴライズ)も何もかも度外視なのが平等であり、公平はファクトに基づて判断しているのが分かって貰えるだろう。

リベラルを偽装した例

左翼・共産主義・中核・極左などと聞くと皆さんは過激な言動や事件により危険・危ないというイメージが定着しているだろう。

それは右翼も然りだが、如何に良い活動と言えども、そう言ったイメージにより拒否感・抵抗感が先行してしまい、支持層が拡大しないので、よりマイルドで若者にも定着しやすい(若者ウケ)ようにリベラルを称し始めたと言って良い。

分かりやすい例で言うと、大学生らで構成されていたSEALDsが分かりやすい。

SEALDsをリベラルとして取り上げられていたが、実態は社民党や共産党、左翼政治家らと一緒に活動し、沖縄のSEALDsは公安資料に掲載されている米軍基地反対運動にも参加していたり、SEALDsの左派活動は挙げればキリが無い。

SEALDs

逆に天皇を文化的象徴にと主張する反象徴天皇の幸福の科学(幸福実現党)や、昭和天皇・上皇陛下と歴代天皇の御気持ち御考えとは真逆路線をひた走る一水会やチャンネル桜(国守)・日本第一党などが何故か保守とされている。

このように支持層拡大を狙ってリベラルや保守とマイルドな表現に偽装して、思考停止や情弱に誤った歴史や認識を植え付け、洗脳していると言える。

自身が被害者や加害者にならないよう、また間違った方向に二度とならないよう、きちんとしたリベラルな視点を養うべきだと私は思う。

日本国士を運営している松岡 石舟斎です。 ノートをご覧いただき誠にありがとうございます。 サポートをしていただけると幸いです。 宜しくお願いします。