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小中高の学科教育②(そしてその後の学校教育)

前回の『小中高の学科教育①』では、こんな授業必要じゃないかな?というものをいくつか挙げてみました。今回は現行の学科授業、受験教科でもある5教科について考えてみたいと思います…と言っても、現在実際行われている学科授業というものがどのようなものかわかりませんが、私自身が実際に受けた授業、そしてそれは何十年たった今でもさほど変わっていないのではないか!?という観点で進めていきます。

①国語

実は私、国語の授業があまり好きではありませんでした。確かにひらがな・カタカナ・漢字を勉強して、言葉を覚えていって文章が読めたり作れるようになって等は基本中の基本ですし、今でももちろん役に立っています。その他いろいろな物語、詩や短歌、古文等の作品に触れられたのも良かったと思いますが、今では正直あまり覚えていません。やはり国語の授業で一番大切なのは、読み書き理解ってところではないでしょうか?読み書きに関しては、PC・スマホの普及でどんどん重要ではなくなってきているようにも思います。書くのはタイピングで、文字には書き順があって、それも必要ではなくなっていくのでしょうか?また同音異義語もちゃんと説明が出てきたりするので、間違って覚えることもないというか、極端誤って間違った言葉を使うことも少なくなってきているのかもしれません。さらには自分が話したことを文章にしてくれたりもしますよね。読みに関しては、言葉さえ理解していれば、機器が読んでくれたものを聞けば済んだりもするので、読む必要もなくなってきているのかもしれません。ところで私は国語が好きではなかった理由に、例えば、この文章を読んで登場人物がどのような気持ちだったか?というような質問やテストがあったこと。文章中から、そしてそこから連想するいろいろなことを交えながら考える作業というのはむしろ好きだったんですが、考え過ぎなのか想像力旺盛だったからなのか…そして先生からバツ、あるいは○○だと回答され、なんとなく気持ちを誘導されるのが嫌でした。確かに社会倫理観や秩序を形成するのにも一役買っているとは思いますが、それであっても「これが正解」というのではなく、基本的にはこうで、どうして自分のような答えになったのかを聞いてもらいたかったですね。しかしそれをやっていては限られた時間で一人一人というわけにはいかないですね、、

②英語

言語に限ったことではないと思いますが、使わなくなると忘れていってしまうものですね、、20代の頃は流暢ではないにしても、ちょっとした会話ならできましたが、今ではそれすらも怪しくなっています。今英語の授業は小学校高学年くらいから習っているのでしょうか?私は当時まだちょっと田舎では珍しかった英語の塾に小3位から1~2年通ったこともあったせいか、発音自体は悪くないと思います。そう思うと、割と年齢早めに習ったことが意外とその後に役立っているような…気がします。ま、それでも世代的には英語をしっかり勉強し始めるのは中1からです。日本人だったら、中学で3年間、高校で3年間、大学に行けばそれ以上という年月をかけているのにもかかわらず、英語を話せない人が多いのには驚きではありませんか!?ハッキリ言って私もその一人に違いない。明らかに英語教育(授業)の在り方に何か欠陥があるとしか言いようがない。もしかしたら言語を学んでいこうというスタンスが硬すぎるのかも!?そして結局のところ受験のための勉強になって、紙面上の世界になってしまう。また受験の存在が大きすぎて、「間違いは許されない」的な感覚が、これは英語に限らずですが芽生えてしまう。言語こそ楽しんで学べたらいいと思う。現在ALTを通して各学校に1人外国人講師がいたりする?ようですが、それで英語が喋れるようになっているのかが疑問です。いないより実際にネイティブ英語に触れられるのはいいことだと思いますが…
ところで英語に限らずどんな言語を習得するのも、今後必要なくなっていく可能性が高いように思えています。今スマホに通訳翻訳機能があるし、その内きっとイヤホンのようなもの(?)で会話が同時通訳してくれる機器が出てくるに違いありません。ま、だとしても言語を学習するのは悪いことではないし、これまで通り外国語を学習していくのなら、授業の仕方を再考するのはもちろんだけれども、いろんな言語を選択するようにしたらいいと思うんですよね。スペイン語、フランス語、ドイツ語、親日国であるトルコ語や、浜松市はブラジル人が多いのでポルトガル語とか。英語一択である必要がないように感じます。また、住んでいる市町村によっては世界の都市と姉妹都市なんてこともあるわけだし、だったらその都市で使われている言語を学ぶというのもいいのではないでしょうか?

③数学(算数)

私が一番好きだった教科がコレ。公式のような最小限のことを覚えればすぐさま応用が利いて答えを導き出せるから。そしてその解く楽しさがあります。自分の場合覚えることがただただ億劫で、覚えることに怠け者なだけなのかもしれません。でも、学校を卒業してかた就く仕事にもよりますが、加減乗除くらい、もう少し言えば方程式くらいしか普段使っていないような気がします。算数・数学は小学校から数えれば最低9年以上勉強するのに、社会に出て使うのはそれだけ?って感じです。でも、図形を用いての「証明」というのも好きで、これは社会で図形以外のところでも思考的に役立っているかもしれません。

④理科

理科のジャンルも生物・化学・物理といろいろジャンルはあり、化学の実験は面白かったけど、教科書の内容をただ追っていくだけではつまらなかったですね。もっと身近なモノと連動して授業してもらえたら、現実味があってよかったんじゃないかなぁ~って思います。

⑤社会

社会も地理・歴史・公民とかあって、地理や歴史は日本と世界と言う感じに更にわけられていましたね。これらの中でいろいろな国を知れる世界地理が一番好きでした。何かその時の世界に触れられる感じがして。で、一番嫌いだったのが歴史。何が嫌いだったかと言うと歴史的出来事を年号で覚えるのにとても苦手意識を持っていました。
YouTubeで都市伝説を含めたいろいろな歴史に関したモノを見る機会が増え、世界史で出てくる4大文明と言っているものも、世界では日本くらい(日本だけ?)と知りました。歴史全般的にこれまで私達が習ってきたものがいろいろな発見等によって今では「間違い」という風になっているものもあります。しかし当時はそれが「正しい」と教えられ、テストに出れば「正解」だと…また日本史に関して自虐史観を教えられていたりする…特に第二次世界大戦敗戦後の歴史観は歪曲や嘘、真実が隠されていたりする…こんなんでいいのかな?いいわけがない。教科書は「国が認めているもの」のはずだから。国はどういうつもりなのか?って思ってしまいます。
この『社会』という教科、学生の時には単なる1つの教科でしかありませんでしたが、今思えば、国民の思考や思想に案外直結する教科だと思うし、それゆえデリケートな教科なんだと知る。
特にこの歴史については、「これが正解」というのをやめるべきだと思う。あくまで「今はこう考えられている」の立場での学習の方が謙虚ではありませんか?


これまで受験科目5教科に触れてきましたが、身につける勉強というよりは「受験」が強烈に存在しているので、「受験勉強」にどうしても傾いてしまっているように思います。何のための勉強なんだか…勉強ができる→いい高校、いい大学→いい就職先、いい収入という仮想レールが敷かれ、囚われ…その結果長年勉強する機会を与えられながらも、前回投稿した社会で実際に必要と思われる勉強はしないで、学問中心、それも受験のための勉強になり、案外身になっていないのではないかと思ってしまいます。もちろんこれまで通りの勉強が好きな人にはいいと思いますが、もっと身になるような勉強をしたかったなぁ~って思ってしまいます。それには楽しく勉強できること。変な話、どーせ社会に出れば、そのほとんど(???)は忘れてしまうのだから。むしろ楽しく勉強していたら、案外覚えているものかもしれない。日本は悪い意味でも真面目過ぎて、勉強も面白くないし、だから楽しくない。先生(の教え方)によるところも大きいかもしれません。
優秀な大学、その後の就職一択的な思考をやめるべきじゃないですか?そうしないと、ブラッシュアップは多少あるにせよ、このまま同じ繰り返しのまま未来に進んでしまう。「多様化」はもはや別腹?こういう学校教育からそれを変えていかなければいけないのでは?しかも最近でこそ「多様化」といっているけど、個人個人が実は多様であるのは今に始まったことではなくて、本来皆がそれぞれの個性を持っているはず。実際統制の取れた教育だからこそ、秩序が守られたりや治安がいい国だという側面もあるのは事実だと思うけど、「それを踏まえて」それぞれが違って良く、また認められる広い意味での社会になればいいなぁ~って思います。それには「幸福観」再考であったり、「皆が同じであるべきという風潮」、「マネー至上主義」にようなものから脱却しなければならないかもしれません。
それと点数で人を評価するのもやめたい。もちろん学問学力的に優秀な人は優秀な学校へ行けばいいと思うし、それ以外、例えば優しい人、人をいたわれる人はそれを認めてあげて、そういう進路も提示できるような教育、スポーツが得意ならそういう方向、適材適所というか、難しいことではあると思うけれど、個人個人が生かされるような方向に導いてあげられる学校(学科)教育があったらいいと思う。むしろその方が各ジャンルで優秀な人が生まれていくような気がします。皆がレベルの高いいい学校(?)を目指す必要はなく…誰もがそれを求めてしまっている内は受験戦争もなくならないのでは?あるいは少子化が進んで学校すらなくなってしまうのかも!?いい学校に送り出した先生が優秀という学校システム?も変わらなければならないでしょう。そうでなければ、生徒達の人生を狂わせてしまいかねません。
そもそも受験とは、入学させるためのものというよりは、入学させるには人数に限りがあるので選別して誰を落とすかという側面がありますよね。それは「その大学に見合った学力レベル」を維持したいからですよね?大学に行ってから専攻はあったとしても満遍なくいろいろな学科を勉強する。大学に行ってまでその「満遍なく」は果たして必要なのかどうか?その「満遍なく」は高校までにして、専攻に関わる勉強(学科)に絞ったらいいのではないかとも思えます。専門学校と大学が合わさったような…また途中で進路変更もできるような、場合によっては転学もできるようなフレキシブルなシステムがあったらいいと思います。

誰もが教養を得られる機会を得られている日本はもっと、これまで教養として考えられていた学科授業の内容のままの方向ではなく、現実味を感じられるいい意味で独自性を持って、あるいは真剣に考えたオルタナティブな方向に進んでいくべきじゃないかと思います。それには学校学科教育を考える人達が変わらなければなりません。
そう思うのは最低義務教育の9年間プラスαの長い期間勉強して、生きていくのに、そして現実的に必要だと思われることがあまりに学ぶ機会が少ないこと、またこれまでの学校教育で受けた授業が、人によってもだいぶ差があると思いますが、その後の人生で役立っているというか、必要とされることがあまりに少なすぎる気がしてしまっているからです。

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