ビャンビャン麺

アンニュイな紀行文、異常なテンションの短編小説など書きます。

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最近の記事

ヌクマム

かつてアサヒグラフの従軍記者としてベトナム戦争を取材した開高健は、ヌクマム(ニョク・マム)について著書の中でこう記述している。 "ベン・ハイ河からカマウ岬まで、どの町、どの村へ行っても、”ニョク・マム”の匂いがしみこんでいる。サイゴンの舗道にもしみこんでいるし、カマウの『亜州大旅店』の暗く湿った壁にもしみこんでいた。石、木、川、草、新聞紙、タイプライター、すべてのものにしみこんでいる。この国の息の匂いだといってもよい。" (開高健 「ベトナム戦記」より引用) 開高健らしい

    • 在豪越南人

      オーストラリアにベトナム人が住んでいることなど、妻と出会わなければ生涯知ることはなかっただろうと思う。 妻は十代の頃にベトナムからオーストラリアに移住し家族で移住しそのまま国籍取得したのだが、それはあくまで極めて珍しい例だと思いこんでいた。 それが誤解であることは、オーストラリア到着初日に知ることとなった。 シドニーから入国した僕を妻が迎えに来たのは、まだ新型コロナが始まる前の2019年秋だった。 当時妻はシドニーから車で3時間ほど南に行ったキャンベラという街に、家族と共に

      • 空港で陽性になっちゃた人用マニュアル(隔離期間について)

        はい。 以下が1週間ほど前に僕の身に起こった悲劇です。 長旅お疲れ様です。 これを読んでいる人の中にも、同じ目に遭ってる人がいることかと存じます。 空港で陽性が判明した人は、しばらく待機した後隔離施設に護送され、そこで一定期間を過ごすことになります。 施設の場所や食事の内容も去ることながら、一番気になるのは「どういう基準で、いつまで隔離されるのか」だと思います。 この点に関しては、係の人にもよりますがあまり詳しく説明してはくれませんし、渡される資料にも不明瞭な書き方がさ

        • 過去の旅行をtableauでビジュアライズしてみる

          ●最近tableauを勉強しています tableauとはデータビジュアライズや分析に用いるBIツールの一つで、わかりやすく言うと、複雑なデータを理解しやすくするグラフや表を作れるソフトといった感じです。 僕はペーペーなので、シンプルな構造のものばかり作っていますが、 超絶技巧でグラフを組み合わせ、デザインも俊逸なダッシュボードを作り上げる人もます。 無料版のtableau publicではこういったプロの人たちがオープンデータから作ったダッシュボードを見ることができ

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        • アンニュイ紀行文
          1本

        記事

          Go toトラベル2022 現時点での考察(3月14日現在)

          長らく中断されていたGo toトラベルについて、久々に岸田総理大臣からコメントがあった。https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220312/k10013527711000 まあこの人が総理大臣になってからの仕事といえば、謎の課税と引き継ぎ・保留または注視しかしていないので過度な期待はできないが、大きな進展には違いない。 私自身が来月末に一時帰国で方々を回るつもりなので、GWに間に合わせるぐらいで再開してくれないかなあと思っている。 今回の

          Go toトラベル2022 現時点での考察(3月14日現在)

          Burwood美味いもの列伝

          先週末をもって一年過ごしたシドニーに別れを告げ、新天地ブリスベンに赴くことになった。 シドニーでは中心市街から10Kmほど西に離れたインナーウエストと呼ばれる地区のBurwoodという、構成人口の半分以上が中華系という濃い中国人街で暮らしていた。 このあたりはシドニーでも日本人以外の東アジア人が集住している地区であり、お隣のStrathfieldは国内有数のコリアンタウンでもある。 この地区は市街地へのアクセスも良く、その他の地区より比較的家賃相場も安いため、身寄りのな

          Burwood美味いもの列伝

          走れ警吏

          警吏は激怒した。必ず、メロスを止めねばならぬと決意した。 警吏には政治がわからぬ。シラクスの市の治安を維持する警吏として、ただ信順単一に勤めを果たすことが自分の使命だと考えていた。 それゆえ不正には人一倍に敏感であった。どんな小さな罪でも見逃さぬ代わり、千金の賄賂を積まれようともそれを受け取らない、純然たる法の執行者であった。 このところ王命により多くの者たちを捕らえたが、それが自分の仕事だと強く信じていた。 ある日王城の巡邏に当たってると、買い物袋を背負った普段着の男が

          アンニュイ旅行記「広島(1)」

          多くの人は修学旅行と言えば京都を思い浮かべるが、その京都で生まれ育った子供達はどこへ修学旅行に行くかと言えば、広島である。 僕たちが子供だった頃の京都は今よりも政治的に左翼色が強く、その影響もあってか反戦教育や同和教育に非常に熱心だった。 修学旅行には何かと平和教育がセットになっていて、僕の場合小学校で平和資料館や原爆ドーム、中学校では松代の大本営壕がそれぞれルートに組み込まれていた。 おそらく京都の公立学校で教育を受けた同世代の九割以上は、小中のどちらかで広島に行って

          アンニュイ旅行記「広島(1)」

          淡路島(後)

          冬の日没は思ったよりも早く始まり、洲本に着くともう暗くなり始めていた。 国道沿いに大手の量販店や外食チェーンが軒を連ね賑やかだったが、逆に言えば地方に行けばどこでも見られるありきたりでつまらない風景だった。岩屋に比べると活気は多少感じるが、情緒がない。 バスの道中で友人に連絡していたが、仕事が終わるのにまだ1時間ばかりはかかるようだった。 停留所に着く前に大きな煉瓦作りの建物が見えたような気がしたので、ひとまずそちらを見物することにした。 建物はどうやら何かの工場跡の

          淡路島(後)

          淡路島(前)

          京都に住んでいた時は、定期的にどこか遠くへ行ってしまいたい衝動に駆られた。 普段は気に入っている三方を山に囲まれた土地が妙に窮屈に思え、閉じ込められているような圧迫感と何かに追い立てられ続けているような焦燥感が、じわじわとつま先から這い上がってくるのだ。 友達と昼から酒を飲んだり、映画を観たりと現実逃避をしているうちにやり過ごせていたが大半だったが、それすらも叶わないような心持ちの時は、素直に街を出ることにしていた。 電車に乗れば大阪やら滋賀やら、ちょっと足を伸ばせば神

          淡路島(前)

          短編SF「タワマンインフェルノ」

          始まりはとあるTwitterアカウントが連投したタワマンに関した自虐風ツイート群だった。「タワマン高層階だからお米がうまく炊けない」「気圧が違うから子供が捕ってきた虫がすぐ死んだ」など、ネタであることは明白だったが、なぜか一部の富裕層がそれを間に受けてしまった。多分科学の知識が足りなかったのだと思う。 高度なマウンティングにプライドを煽られた富裕層たちは即座にタワマンの最上階を買い、さらに高度な自虐風自慢を写真付きでツイートすることでその自尊心を満たした。 このブームは瞬

          短編SF「タワマンインフェルノ」

          アンニュイ紀行文「社員旅行」

          人生のうちで全く気の進まない旅行というのは二度だけで、どちらも同じ会社の社員旅行だった。貴重な土日の休みが潰されるのを考えるだけでうんざりしたしそもそも、会社自体を僕は嫌っていた。 低賃金長時間の重労働な上、昭和の社会悪を凝縮したような職場だったのだが、他に仕事のあてがなく金もなかったので仕方なく勤めていた。 社員旅行は毎年春の終わりに行われていた。一度目の行き先は宮崎だった思う。思うというのは、入社直後だったこともあり本当にあまり覚えていないのだ。大抵の観光地は以前バイク

          アンニュイ紀行文「社員旅行」