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大衆性と個人性【コトバビタミン】第88回

私がメンバー固定のバンドとしての名義で活動したのは25歳の頃までである。

活動が止まった理由は、他でもよく聞かれる

「音楽性の違い」

である。

先日、関ジャムのKing Gnu常田氏の回を見ていたら、私のケースで言う「音楽性の違い」の具体的な状態に気が付いた。


それは

「大衆性」「個人性」

の違いである。


それを一般的に「音楽性の違い」というのかもしれないが、恐らく自分たちの場合、メンバーがこの「大衆性」にいつ目覚めたかの違いだった。


バンド活動当時は、私も含めて主に「個人性」への探究を行っていた。

分かりやすく言うと、自分の憧れている音楽性を表現することに全力を注いでいた。しかもメジャーではなく、かなりマイノリティなジャンルである。

この状況では少数のコアなファンはつくかもしれないが、多くの人々に見つけてもらえる可能性は低く、集客も難しい。 

ライブの本数が多かったこともあるが、実際、集客もうまくいっていなかった。


私はある時から多くの人に自分たちの音楽を届けたいと思うようになった。正確にはずっとこの気持ちは心の奥にあった。

この気持ちが「大衆性」である。

私は小さい頃から大衆向け(多くの人に知られ、リスペクトされ、結果的に大衆性を持つ音楽になったのかもしれない)の音楽を聴いて育って来た。ヒットチャートの上位の音楽を聴いてきたのである。それはやはり自分の奥底に染み付いているし、作る音楽にも自然と繁栄されている。


一つのバンドとして活動していくにつれ、この「大衆性」「個人性」の相違が、バンドを前に進めていく力を小さくしていったのだと思う。


当時のバンドメンバーたちは今、

FP、塾経営、不動産業

などに従事しており、自身にある資質を活かしつつ、この「大衆性」を探求しながら、仕事に繁栄させている。そして周囲からリスペクトされ、成果を得ていっている。


もちろん音楽への愛も忘れていないが、音楽は「趣味」という場所に置いている状態である。


何をツールとして「大衆性」を求めていくかは、人それぞれの資質やルーツ、出会い、過ごしていく中での様々な影響から生まれてくるものであると気付いた今日この頃。


時間はかかったが、私自身、もともとの資質や素材が憧れよりも前に来たことで、そのオリジナリティの大切さに気付いた。

今はそれが作る音楽や発信することに繁栄されている。

もし先が見えなくなったときに次のステップへ進むときには、一旦立ち止まって、自分にしかないものを見つめてみるとよいかもしれない。

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