情報はあればあるだけいい――というわけではないのかもしれない
最近、ふと考えることがあります。
私たちって、こんなに情報必要なんだっけ?
新卒で就職してからの6年間、私は東京・ロンドンと、人とモノと情報が溢れる環境に暮らしておりました。
それまで田舎でのらりくらりしていた私から見れば、何でもある都会暮らしは刺激的なものでした。実際に楽しかったです。
でも、同時になんだかすごく疲れていたような気もします。
残業も日常茶飯事だったし、早く帰れたら帰れたで落ち着かなくて、わざわざ映画館寄って、結局深夜に帰ったり。意味もなくコンビニに入ることも多かったです。
その後、紆余曲折あって、田舎暮らし再開。
夜7時を過ぎたら誰一人歩いておらず、遊ぶような場所もない田舎の夜は、戻りたての頃はとにかく長く感じました。
都会にいたらあれもこれもできるのに、と考えては、人生を損しているような気持ちになることもありました。
でも、選択肢がありすぎると、あれもこれもしたくなるし。
常にコスパとかタイパとか考えてるし。
10個欲しいものが手に入ったら11個目が欲しくなるし。
いつしか、何かを詰め込むこと自体が目的になって、本末転倒!
都会暮らしを知ったからこそ、あるもので満足するのもありなのかなぁ、と、最近は考えるようになりました。老いただけだろうか。
ありすぎる情報を制限することを考えはじめるのは、世の中の動きとしても現れているように思います。
たとえばマッチングアプリ。許嫁とかお見合いとかに反発して、自由な恋愛が主流になったのに、今度は自ら出会う人を制限する時代になりました。
あとは集住とか、シェアハウス。ここ最近で増えてきましたね。窮屈なムラ社会が廃れて、核家族化が進んだのに、やっぱりみんなで集まろうとするって面白い。
他にも、マインドフルネスとか、ミニマリストとかも、きっとそう。
もちろん、「選択肢がなくてそうするしかない」ことと、「多すぎるから選択肢を絞る」ことは単純には比較できません。
でも、一人の人間が居心地よく感じる情報の量って、もしかしたら昔から変わっていないのかも。
西洋占星術では、冥王星・水瓶座の時代が今年から今後20年続いていきます。多様性や個性というキーワードを考えると、個人にとって居心地の良い、ちっちゃい社会がいっぱい溢れるような時代になるのかもしれません。
そして、その後の魚座時代に全部ごっちゃになって、原点回帰。
魚座時代に答え合わせができたら面白そうです。2043年なんだが。
まだ生きてるかな。
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