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誰の何のためのメッセージ?

Xで医療従事者の方が
「疾患ではなくて人を見なくてはいけない」
と投稿されているのを見かけました。

回復期の担当療法士さんもそんな感じのことを言っていたけれど、これって医療従事者が学校で習う常套句なんだろうか?ふと思いました。


麻痺さえも見てないのでは?

回復期を退院後、近所のクリニックでリハビリを受けました。そこで
「回復期で麻痺に対するアプローチがなされていなかったので、脳疾患専門の自費リハビリに行ってはどうか」と薦められました。

さらに、麻痺した左足の痛みに対し
「水泳が原因の可能性もあるからジムはやめた方がいい」そうも言われました。

私は「退院後はジムに行け」という回復期の療法士さんの言葉どおりジムに入会し、当時水泳にのめり込んでいました。
どんどん距離が伸びるのが楽しくて、暇さえあればプールに通っていました。

ところが、2回目のリハビリでいきなり、自費リハを探すこと水泳を止めることを言われとても戸惑いました。

回復期の療法士さんにそのことを伝えたら
「クリニックの療法士さんはみどりさんの麻痺を見ているのであって、麻痺のあるみどりさんを見ている訳じゃないんだよ」
と言われました。

確かにクリニックの療法士さんは楽しんでいる水泳をストップさせることになんの躊躇もありませんでした。そういう意味では私の"麻痺"に注目していたのかもしれません。

ただ、回復期でも私という人間を見られていたという実感はありませんでした。そして麻痺に対するアプローチもありませんでした。

言うなれば、麻痺のある私どころか私の麻痺さえ見ていなかったのではないかと思っています。

なので今回のXの投稿を見て、回復期の療法士さんはもしかして学校で習った言葉を発してみただけかもしれないと思いました。

できなくなったことではなく

"出来なくなったことではなく出来ることに目を向けましょう"
これも障害を負ってからよく言われる言葉です。

でもその度に思います。
"それが出来たら苦労しないんだけど"

むしろ、どうしたら出来ることに目を向けられるようになるのかを教えて欲しいです。

まだ、何が出来て何が出来ないのかわからない状況で、そんな言葉だけを投げかけられて混乱するばかりです。

あまりにもあちこちで耳にするこの言葉も
"もしかしたら学校で習う常套句なのかな"そう思いました。

誰のための言葉?

これらの言葉はそもそも当事者に伝える必要があるのでしょうか?

「クリニックの療法士さんはみどりさんの麻痺を見ているのであって、麻痺のあるみどりさんを見ている訳じゃないんだよ」

この言葉は私に伝えるものではなくそう感じた回復期の療法士さんが
"疾患を見るのではなく疾患を持っている人を見なくてはならない”
と自分が心がけるためのものではないかと思います。

「出来なくなったことではなく出来ることに目を向けましょう」

これも当事者に促すメッセージではなく
"当事者が出来なくなったことではなく、出来ることに目を向けられるように導こう"
と医療従事者が心に留めるための言葉であって良いのではないかと思うのです。

何だか"障害受容"みたいに言葉だけが一人歩きしてしまっている様な印象を受けました。

大切なことはなんだろう

患者にとって大切なのは決まり文句ではなく、"疾患を持っている自分自身をみてもらっている"という実感や、"出来ることに目を向けてみよう"と思える体験ではないでしょうか。

自費リハビリの理学療法士さんにお世話になって1年以上経ちますが、こういう常套句のような言葉を投げかけられた覚えがありません。

けれども疾患ではなく疾患をもつ私をみてもらっている実感も、出来ることに目を向けられるように支えられている実感もあります。

去年の秋、家族旅行を計画しました。けれども当時、少し動いただけで身体の痛みや脳の疲れに悩まされていた私は、行くべきかどうか決めかねていました。
途中で動けなくなって家族に迷惑をかけるのではないか、帰宅してから痛みが出るのではないか。それならいっそ家で留守番をしている方がいいのではととても悩みました。

そんな私を見て担当療法士さんは旅行の全行程をチェックし、痛みの出そうな道や休憩を取るべきポイントをアドバイスしてくれました。

それでも不安で一歩を踏み出せないでいると
「帰宅後、痛みが出たらと心配なのであれば、その際は定休日だけれどケアしますので安心して行ってらっしゃい」と背中を押してくれました。

あの時の私に必要だったのは
"出来ることに目を向けましょう"という常套句ではなく
"行けるかもしれない・行ってみよう"と思える環境でした。

そして、不安だったけれど旅行に行けたという成功体験は
"また旅行に行けるかも"という思いだけでなく
"環境さえ整えば他にもやれることはあるのかもしれない"
と出来ることに目を向けさせてくれたのではないかと思います。

メッセージを伝える際には

私にはあまり想像が出来ませんが、
「出来なくなったことではなく出来ることに目を向けましょう」
というメッセージを医療従事者が患者に伝えるべき場面もあるのかもしれません。

ただ、その際には
"どうやったら出来ることに目を向けられるのか"
その方法を示すなり、目を向けられるような体制を整えた上でにしてもらいたいと思います。

そうでないと常套句のようなメッセージは単なる価値観の押し付けになってしまう可能性があるのではないでしょうか。

かといって「これも出来るのでは」「あれも出来るのでは」と可能性を指し示すことで目を向けさせようとすることもまた違う気がします。

成功体験の中で自らが出来たと実感することこそが
"出来なくなったことから出来ること"に目を向けるられる瞬間なのではないかと思うのです。

障害を負った誰もが、出来ないことではなく出来ることに目を向けて前に進みたいと思っているのではないでしょうか?

だから医療従事者の方々はただメッセージを投げかけるのではなく、当事者が出来ることに目を向け、前に進める手助けも同時にして頂けたらと思います。