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イベント参加

以前、zoomででお話しする機会を下さった関西の理学療法士さんの関東リアルイベントが行われました。

主に医療従事者の方々が参加されるイベント。一当事者だけれど良いのかしら?そう思いつつの参加でしたが感じるところ満載の良い時間でした。

時間をかけてゆっくり書きたいところも多々ありますが、記憶がフレッシュなうちにとりあえず感想だけまとめておこうと思います。


ソーシャルワーカーって?

最初に登壇されたのはソーシャルワーカーの方でした。
くも膜下出血で急性期、転院して回復期を過ごしたにも関わらず私はソーシャルワーカーさんにお会いしたことが無かったので、名前は聞いたことがある仕事だけれど「一体何をする人?」という感じでした。

まっさらな状態で聞いたお話しはあまりにもドラマティックでびっくりしました。

身寄りのない患者さんの看取り

テーマは二つ。
一つ目は救急搬送された意識も身寄りもない患者さんの看取りをどうするのか。
そんなこと病院で請け負ってくれるの?と驚きました。

意識がないまま亡くなったら病院なんて事務的に
"役所に繋いで終わり"
そんなものだと思っていました。

けれども、このソーシャルワーカーさんは携帯や財布から手掛かりを見つけ、知人や身内を探し出し葬儀に繋げられました。

ここについては深掘りしてぜひ書いてみたいと思いますが、残されたご遺族や知人の方にとっては良い結果となったようです。

このエピソードを聞いて「私の生き方連絡ノート」というACPについて考え、書き記すイベントに参加した際の
「このノートは本人だけでなく、望まぬ医療を行い最期を迎えさせてしまったのではないかという悔いを家族に残させないためのものでもあります」
という話を思い出しました。

意識が無いまま亡くなられたご本人の意向はもちろんわかりませんが、必死に関係者を探されたことは、故人の人生というよりむしろ遺族の方の人生に大きく関わられたのかなと思いました。

病室での結婚式

患者さんの死ぬ前に娘の花嫁姿を見たいという願い。そして娘のお父さんに花嫁姿を見てもらいたいという願い。これを何とかして叶えてあげようと奔走されたお話しが二つ目のテーマでした。

患者さんは末期ということで一日でも早くと敏速に行動出来た裏には、日頃からの人との繋がりが大きく影響していたことを知りました。

どんな人間関係がいつどこで役に立つのかわからない。そんなことを話を聞きながら思いました。

患者さんと娘さんの願いを知りソーシャルワーカーさんに繋げた担当の看護師さん。そしてボランティアで請け負ってくれたブライダル会社、病院の個室を飾りつけした看護師さんたち。

ソーシャルワーカーさんを中心に沢山の方々が手を携えて準備した結婚式。

式の直前にお父さんの呼吸は止まってしまったけれど、医師による死亡確認がなされるまでは"お父さんは生きているのだ"とそのまま式を挙げられたことは、一つ目の事例と同じく、遺族の人生に悔いを残さずに済んだという大きな仕事だったと思います。

イメージが変わったソーシャルワーカーの仕事

私は入院中、実際にソーシャルワーカーさんとお話ししたことがありませんでした。だから他のソーシャルワーカーさんがどんな風にお仕事をされるものなのかはわかりませんが"患者さんのために何かをする仕事"なのだというイメージがありました。

けれども今回のお話しを聞いて、患者さんが亡くなった場合には
"遺族のための仕事"にもなり得るのだなと思いました。

こんなドラマティックな出来事はそんなに多くはないのかもしれません。うまくいったケースばかりでもないのかもしれません。

けれどもドラマティックな事例にならない、患者さんのささやかな願いを叶えたり不安を取り除くという日々の仕事に対する姿勢が、看護師さんの足をこのソーシャルワーカーさんの元に運ばせたのではないかと思いました。

高齢の入院患者さんの結婚式参加

続いては理学療法士さんによる講演で、腰痛で入院中の高齢患者さんのお孫さんの結婚式に参列したいという願いを叶えようと奮闘されたお話でした。

この療法士さんはいつもXで熱い発信をされていますが、病院という組織の中であっても
"何とか患者さんの願いを叶えてあげたい"
その想いがこの療法士さんを動かしているように感じられました。

"出来ません"
そう言ってしまえば一言で終わることだけれど、出来ない理由を一つ一つ出来るに変える情熱がすごいなと思いました。

そしてその熱い想いを常にSNSで発信しているからこそ、アイディアや人手が療法士さんの元に集まり患者さんの願いが叶えられていく。

組織の中で他の医療職の方から見たらどうなのかはわかりませんが、患者の立場から見たら純粋に"素敵だな"と感じました。

ドクターとの交渉に始まり、車椅子や介護タクシー、同行してくれる看護師さんの手配、ウェディングプランナーとのやり取り。そして患者さんの健康管理。

前日に、綺麗な状態で参列して欲しいとお風呂の手配までされたのには驚きました。療法士さんとしての目線と患者側の目線、両方を持てる方なのかなと思いました。

高齢で何が起きるかわからない状態での参列には色んな意見があるのだろうと想像します。

ただ、私としては高齢のおばあちゃんが
「孫の結婚式に行けなかった」
という思いを抱えてその後の人生を送らずに済んで良かったと思いました。

そしてその後、元気にまた独居生活に戻られた要因の一つには
「孫の結婚式に行けた」
という成功体験があったからではないかそんな気がしています。

イベントに参加して

度々ブログに書いてきましたが、入院生活や通院時の対応で医療不信に陥ったことがあります。

でも、こうして患者の側を向き、何とか出来ないかと頑張っている医療従事者と接することが出来たことは私にとってプラスになった気がします。

イベントを企画された療法士さんはいつも
「自分たちが普通にならないといけないんだ」
そう言われています。

今回のソーシャルワーカーさんも
「自分に当たってラッキーだったね」
と言われるようではダメなんだとお話しされていたと思います。

ただ患者として思うのは、今回の療法士さんやソーシャルワーカーさんが標準とならなくていいから(なってくれたらもちろん嬉しいですが)、それよりももっと全体に底上げされること「ガチャのハズレ」が無くなってくれたらと願います。

脳卒中患者だった理学療法士の小林純也さんがイベントで
「良い療法士とは当事者より可能性を信じている人」
と話していました。なるほどなと思いました。

私が思う良い療法士さんってどんなだろう?
今回のイベント前からぼんやり考えていたことではありますが、患者の想いを受け取めてくれる人なのかなと思いました。

リハビリをする上で寄り添いって大事だとずっと思ってきました。知識や技術も大事だけれど共に歩んでくれてこそ頑張れるそんな気がしています。
特に麻痺などの後遺症を抱える患者にとってはリハビリのゴールってあるようでないのが現実で、長い道のりだからこそ寄り添ってもらいたいそう思います。

でも患者の方を向いて想いをを受け止めたいという人ならば、その時点で寄り添ってくれていると言えそうです。
そして患者の望みが例えば「痛みの軽減」や「麻痺の改善」でそれを受け止めようとするならば、自然に知識や技術も身に付けようとしてくれるのかなと。

患者の想いを受け止めようという訳ではなく得る知識や技術って、時にただの自己満足に終わってしまうのでは?そんな風に思います。

イベントに参加して良かったと改めて思っています。
実は今回、お世話になっている自費リハビリ施設リハフィットの担当療法士さんもご一緒してくださいました。

スクラブを着ていない療法士さんと並んで同じ話を聞き語り合う、本当に良い時間となりました。

またこういう機会があればあまり臆せず顔を出してみようかなと思います。
素敵なご縁を下さった関西の療法士さんどうもありがとうございました。