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エコヴィレッジゆるゆる1(自分の内と外を旅する)


エコヴィレッジゆるゆる


20代の友人方に混じってエコヴィレッジゆるゆるさんにお邪魔させていただきました。

エコヴィレッジゆるゆるは神奈川県藤野に住むアーティストの飛龍さんが中心となり、整地や建物の材料集めから仲間と創り上げたシェアスペース。説明を飛龍さんから受けて、ゆるゆるの世界観が好きで、村民になった人のみ使用できるとのこと。

買った材料はほぼなく、99%以上誰かからの貰い物。つまり廃材で出来ている。そして運営は基本的にドネーション。円で縁を精算してしまう関係性でなく、ギフトで関係性が成り立つことで回っている。

藤野は幾度となく不思議な出会いをいただいた、僕にとってもきっかけの場所である。思えば30代に入ってパーマカルチャーやら自然農やら、資本主義とは違う方向性で生きていこうとしている人々に出会っていく文脈はこの地から始まっている。6年前に藤野のトランジションタウンのツアーに参加したのが初めだ。greenzさんの記事で飛龍さんのことを知って以来、いつかどこかでご縁をいただくだろうなと思っていたら、1年越しに来ること叶ったのだ。

エコヴィレッジゆるゆる外観
バーカウンターがあり仲間が自由に使っていいことになっている


自分の内と外を旅すること

村長の飛龍さんは10代後半から絵描きとして自分とは何ぞや?を絵を描くことと対峙し続けた経緯があったそうで、その語りや活動は表面上あくまで「ゆるゆる」でジョークもセンス抜群の粋なお兄さんといった感じなのだが、アートを通じて孤独や哲学と剥き出しで対峙してきた絶対量が桁違いなんだろうというのがご本人からも空間からも作品からも滲み出ていた。

これは経験からの持論なのだけれど、人の琴線に触れるもの、何かと何かの境界線を越えさせてしまうような創作ができる人というのは向き合った孤独の量と質感の種類に対する経験値が段違いなのだと思う。それだけではないけれど、少なくともその土壌が耕されてることは確かだと思う。必要条件。


例えば20歳まで友人がおらず、ひたすら楽器だけが相棒と言える存在だったとか、人生の前半に早々に限界集落に移り住み、ほぼ誰かと積極的に関わるでもなく、ただ暮らすとか。しかもそれが最初は運命から「受動的に」そうさせられたとしてもどこかでいつからか確信的に「主体的に」その道を選んでいた。といったような感じ。事実、僕が出会ったそういう人たちのその後の足取りは極と極とを堂々と綱渡りするがごとく、人の可能性に限界なんかないと思わせてもらっていて、密かに勝手に勇気をもらっていたりします。

僕はその営みがとても興味深い。自分の内と外とを何度も旅をすること。
どんな日常を送っていても、多かれ少なかれ、万人がやっていること。

文字にしてしまうと味気ないから、ぜひ一度飛龍さんを尋ねて見て欲しいと直接会った人には僕はそういうだろう。ゆるゆるは敢えて言えば世界観が共感できる仲間が集まって、自由に自分を表現していっていいという勇気をもらえる場所・コミュニティという風に感じた。ふざけていて真剣。開放的であって、解放的。雑多であるようで、形式を持たず調和している。

一緒に訪れた友人は大学生1年生の頃から、こちらの施工に関わり、転機となるときはいつもそのきっかけをもらっていたという。誰かの背中を知らずに押せている在り方ってかっちょええなと。

絵画への自己表現のため、内側を深く深く旅し続けた飛龍さんのその後は音とアートのワークショップを福祉施設でやったり、万華鏡作家になったり、内側から外の世界に極端に飛び出したようで、、、。今や表現者との境界線なく、自分の人生それ自体を多次元的なキャンパスにして、内側から産まれてくる色や音や形や人との関わりなんかで主体も客体もなく顕す(される?)もはや「観測者」であることが多いのではと思う。(飛龍さん、勝手な推測で色々言っていてすみません。)ご本人に確認したわけではないし、そんなこと無粋なのでしないですが・・・。なので僕の話は一種のファンタジーとして読んでいただけましたら。特にサラリーマンの方々、僕の話は意味不明かもわかりません・・・。


廃材で剥製やら提灯やらが集まってきたのでこうなったらしい。圧巻。

飛龍さんたちと1日過ごして、人はそうやって内と外を同時に旅していくことで根が深くなるのだと改めて、思い返していました。

内側で行き詰まれば書を捨てて街へ出る必要があるし、外側で行き詰まれば捨てた書を拾って、内へ内へ深く自分に耳を澄ませる必要がある。どこへ行きつくのかはわからないけど、それはまるで村上春樹さんの小説のような感じで、現実だか夢だかはわからないけれど、そうすれば何はともあれ先へ進む。少なくとも自分はそうだった。ところで村上春樹さんの小説の主人公はなぜあんなに突然、異性とにゃんにゃんするのだろうか。本を読んでるだけなのにビクッとなる。

飛龍さんは横丁が好きなのでシェアスペースや宿泊スペースは横丁風味。
ちなみに自分も横丁的空気は大好きである。

どちらかが一方が必要なのでなく、どちらも必要だったり、両極を感じる必要があったり、時には両極すら包括しているものにその時に必要な灯明が静かに照らされることがあるなあと思います。

やたらとゴージャスな廃材ばかり集まってしまい出来た部屋らしい。
ベルベットアンダーグラウンドの名曲が頭の中で流れていたのは僕だけだろうか。


おいらに風当たりが強い資本主義。そこから脱するための何かを探す。


差し当たり、自分がこういったエコビレッジみたいなところを回ったりするのは好きだし、自給自足的スキルはどんどん身につけたいと思っているのだ。それは僕が終身雇用神話もなくなり、就職氷河期の30代として20代を苦心の中、なんとかかんとかサバイバルしてきた(させていただいてきた)からだと思う。(わからん、明日死ぬかもしれません。フラグではありません。超強運なので多分大丈夫です。)

人間には生き物として自分の手の届く範囲の適正量と適正な質があると思う。資本主義の仕組みはそれを越えてしまうため、分断を産むような行(ぎょう)をじぶんに強いてきたのだなと今ではざっくり認知していて。

会社組織に長くいるのが苦手で、と、いうのも青年Aとして、記号のように扱われ、上司的な誰かに自分の命を握られているような感覚が本当に無理だったのだなあと思う。何度も鬱病になった。(そういう状態の時、ほんとたくさんの皆様にご迷惑かけました。ごめんなさい。そして感謝しています。)組織で生き残るのもそこで世渡りするための一定のスキルと素養が必要だなあと思い、つくづく社会不適合者だと落胆した自分はしょっちゅう体調を崩した。そんな中で藤野のトランジションタウンツアーを終えた後、

シャロムヒュッテ(当時の名)という長野県安曇野にある自然農やパーマカルチャーを実践して本質的な自然との共生を図る宿にしばらく置かせていただき、石窯で薪を使ってピザを焼かせてもらったり、森の中で夕暮れ時にYu kawaiさんの蝋燭の灯が揺れる中、ピアノをひくharukanakamuraさんと出会わせていただいたり、夢心地で新しい世界の扉を開くことになった。当時のスタッフの皆さんと過ごした時間は今でも僕の中の大切な一部です。

いまだにお金に取り憑かれてるだろうなあという人たち、お金を捨てた人たち。半農半●●、自分らしく生きる、共生、自給自足、地域通貨、シェア、自然と生きる、色々な層の経済圏がある。パーマカルチャーが自分にとって答えとは安易には思えていないし、いよいよ地球がヤバいとなった今、スーパーに売っている素材と自然食品店で売られている有機野菜を食べ比べながらその痛みを日々感じながら、瞑想したり迷走しながら、相変わらず自分の内と外を行ったり来たりして試行錯誤が続いている。初めて藤野を訪れてもう6年にもなるけど。ここらへんの話はまたまた長くなるので別途・・・。


蝋燭をつくって、くれる。そんな友達がいます。


たつくんが作ってくれた蝋燭の炎

ところで、僕には和蝋燭をつくる20代の友人がいます。
彼も僕も言ってしまえば変なのですが、彼とのお付き合いはほんと「変」で。

池袋で古武術のセミナーに一緒に出て、なぜか語りが盛り上がってしまい、朝まで路上で飲み明かしたり、うちに来て、縁側にふり続ける雨を二人で眺めて「何か悠久の時を感じる・・・。」などという絡みをしたり、時には友人を連れてきてくれて、ドイツの首相マルケルの手癖(手印)という謎のギャグ(本人は研究成果の実践報告であって、いたって大真面目)をかまして大笑いさせてくれたり。

そんな彼が今回の件にご縁をくださったのですが・・・、次回はエコヴィレッジゆるゆる2「同じ釜の飯を食う」に続きます。

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