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『The SON』 フロリアン・ゼレール

 心を病み学校に通えなくなった高校生の息子をめぐる家族の話。
 エリート弁護士の父は件の息子の母と離婚し、新しい妻と赤ん坊と三人で暮らしている。
 ある日、毎朝家を出ていく息子がもう一月も学校に通っていないことを知り心配した前妻が、切羽詰まった様子で尋ねてくる。穏やかだった息子が強烈な反応を見せ、前妻一人では抱えきれなくなった。息子は父と一緒にいたいと言っている、支えてあげてほしいという。
 父は「父と一緒にいたい」と言う息子を、後妻と赤ん坊のいる家にむかえいれる。息子は自分でも自分がどうしてしまったのかわからない心の病に戸惑っていた。

* 

 見終わってすぐラインで友達に送った感想はこんな感じ。

 愛情深い親からこれはあかんてセリフがバンバン飛び出す話。
 子供のことを思ってて、受け止めたいと願っているのに、全然子供が見えてない。病んでる子供の方がずっと親をよく見てて、これはまずいことにしかならないっていうのを見せられてる感じの映画だった。

 主人公である父親はまさに「理想の親、理想の子」を求めていたんだよなあって思う。そしてそれを押し付けて全く気づけないんだって悲しくなった。
 言っちゃいかんってタイミングで一番言ってはいけない言葉が、しかも全く無自覚に飛び出す。
 まるでハラスメントの感覚がない人が全く悪気なく、むしろ愛情表現のつもりで言葉をかけ、相手の負担に気がつけないみたいに。
 それが真っ当な愛情として差し出されるから、子供の側は受けとる以外できることがなくて。
 しんどいわーて思って見てた。

 なんていうか、大人を安心させるために子供が全部受け止めて壊れてしまう話に思えたんだ。

 自分がどう理解してそう感じたのか、もう少し整理してみる。


 不倫によって元妻との関係を破綻させていた主人公は、元妻の要請で離れて暮らす息子の危機に手を差し伸べる。
 「父と一緒にいたい」という息子の要望に応えるのだ。
 家には生まれて間もない赤ん坊と、初めての出産、育児に奮闘している妻がいるのに。


 外からみると、そんなの全くいい方向に進むわけがない選択だよなって思う。
 主人公は仕事でほとんど家にはいない。代わりに息子のそばにいるのは自分から父を奪った女と、自分の代わりに父から愛情を受けることになる赤ん坊なのだ。
 全員がより一層苦しむに決まっている。


 なのに主人公は息子を家に迎え入れる。
 理性で考えればはっきりしているのに、どうしてそんなことができたのか?
 助けを求める息子に手を差し伸べれば、家を出た罪悪感を拭うことができるから。
 元妻に対し子育ての責任を果たしているとアピールできる。しかも元妻の困り事を解決してやったとなれば株が上がる。
 不倫、離婚によって損なわれた「理想の父親」のイメージを取り戻すことができる。
 良き父としていい顔ができるのだ。


 主人公は特別打算的な人間ではない。
 なのにどうして「理想の父親」のイメージを取り戻す誘惑に負けて、非現実的な選択をしてしまったのか?
 それは主人公と父との関係に見ることができる。

 主人公の父は仕事に明け暮れて死の床についた母を見舞わず、まだ10代だった彼を支えなかった。
 主人公は父を憎んだ。父のようにはなるまいと誓って大人になった。仕事にかまけて家族の危機を放置するような父と自分は違うのだと証明したかった。
 だから主人公は我が子に自分のして欲しかったことをする。出世のチャンスを手放してでも、息子の危機に手を差し伸べる。
 父を見返すためにも良き父でありたい。そんな自分の事情に囚われて「父さんがなんとかしてやるぞ」と息子を抱え込んだ。
 その時主人公は息子に10代の自分を重ねていた。理想の父親となって、10代の自分を救おうとしていたのだ。
 そうして父に「あんたは間違っていた」と見せつけたい。
 その下心は老親に見抜かれている。「良い父親アピールをしにきたのか」と。
 つまり、主人公には現実の息子の姿は見えていないのだ。


 現実が見えないまま主人公は息子のために尽くしまくる。
 新しい家族がいるにも関わらず家に迎え入れ、出世のチャンスを手放して息子の学校や関連機関に足繁く通う。
 よくやってると思いたいから。
 息子のために何かすることで、父親の関心を求めていた10代の自分が癒されるから。
 俺は父とは違う。良い父親だという認識が自分の中に広がって、妻子を傷つけ出て行ったという現実が小さなものに感じられてくる。
 そんなこともあったけど俺は今、良い父親だと満足する。
 自分自身はあの頃の父親のことを未だ許せないでいるのに、向き合いもしないまま自分は息子に許されていると思えるのはどうしてなんだろう。
 良き息子として成果を返すことを期待するのはどうしてなんだろう。
 こんなにしてやったんだ。絶対良くなるに決まっている、と。
 そうじゃないのはなぜなんだと苛立つ。
 愛情深い良い親に見えるし、当人だってそう信じているだろう。
 でも違うよ。誤魔化してるだけ。
 だってそれはちっとも息子が望んでいたことじゃないよ?
 ぜんぶ、主人公が息子に望んだことだ。


 息子が望んでいたのは、自分の苦しみを理解してくれということだったはずだ。
 「父と一緒にいたい」というのは、「母じゃダメだ、父がいい」という主人公の自尊心をくすぐるような意味じゃない。
 僕の父親を返してくれということ。幸せだった元の世界に帰りたいということではないか。
 絶対に揺るがないと信じていた地面が突然崩落してしまった。
 この嘘みたいな現実を息子はもう一歩も進めなくなった。
 信じていたものが失われ、何もかもがわからなくなってしまった。
 どうしてなのと問うことができる相手は父しかいないではないか。
 「僕は納得できない。どうして母を一人にしたの?」
 10代の主人公にとってそれを問う相手は父しかあり得なかったように。
 息子の信じていた世界を壊したのは父なのだから。


 けれど息子はなかなか対決しようとしない。
 救いを求めて(無意識的に、対決するために)父の元に転がり込んだのにも関わらず、「良き父親」であろうとする主人公の期待に応えて父親が望む「理想の息子」を演じる。
 そんなの、捨てられるのが怖いからじゃないか。
 すでに一度捨てられているんだから。
 現実を認めたくないから騙されて一見平和な日常を生きていたいと望む。
 もうすでに限界を超えているから父のところまできたのに、今度は父の望む「息子に幼い自分を投影した、自分の夢見た良き父親、良き息子の幻想世界」に巻き込まれてしまう。
 こんなのはよくあることだってわかってる。息子も主人公も無意識にやってること。
 私だって同じように気づいていないことがいっぱいあるんだろう。
 だけど、ほんとクソだって思ってしまう。


 あの家で、傷ついても(息子のためにも)前を見ようとしている母といると息子は現実を突きつけられた。
 僕はまだ認めたくない。取り戻したいのに。
 こんな現実、偽物なのに母は将来のためなんていう。
 だから息子は母とはいられない。目を覚まされそうになるとおかしくなってしまうから。
 母の住む家でも学校でも、現実を認められない自分だけが囚われてどこにも行けない。


 父自身が演じてみせるように、父は息子思いのいい人だ(僕らを捨てたなんてきっと何かの間違い)と自分を騙し、もう目覚めないでいたい。
 目の前の相手を「良き父親」だと信じこもうとすれば、父の愛を奪った女が悪いと考えるほかない。

 自分と母親の苦しみを知っているのかと訴えて父を取り戻したい。
 でもその女が明るく魅力的であり、懐深く他人の自分を迎え入れるいい人で父の心は彼女の虜だと理解してしまったら、小さな赤ん坊までいてもう取り返しがつかないのだと理解してしまったら、家で現実を進む母といるのと変わらない。
 目覚めないでいたいのに。


 では現実を認めず幻想世界に逃げ込めば幸せか?
 そんなことはない。
 認めまいとしても無意味なことをしていることを本当は知っている。
 周囲はどんどん先を行き、一人取り残される焦りを感じる。
 本当に自分はここに生きているだろうか? 
 現実を認める勇気を持たない限り、生きている感覚はどんどん希薄になっていく。
 自傷して確かめないと怖くなる。

 怖くてたまらないから安心したくてやるのに、自分を傷つけてはいけないなんて、妻子を捨てて傷つけて平気で別の家族を作っている父親に言われたくない。
 息子が主人公の愛を信じられないのは当然だ。


 息子の病の根っこに、納得し難い家族の崩壊が影を落としていることは明白だ。
 病院で息子は両親が自分のためにもう一度協力しあっている姿を見つける。
 病んでいる限り父は母と繋がって、あたかも家族であるかのように協力しあってくれる。
 直してみせる、二度とやらないと言いながら、息子は病気でいることが愛の獲得につながる、病気でいなければ、と理解しただろう。
 邪魔な医師を退けて家に戻り、ソファーで家族三人互いに気遣い合うこの時間を、息子は永遠にしたいと思ったに違いない。
 僕の父が帰ってきた!
 幸せだった元の世界に帰りたいという息子の願いは叶ったのだ。
 これ以上になく完璧な瞬間。でも、そこに未来はない。だから息子はこの瞬間に死ぬほかなかった。
 と私は思っている。

 主人公はいったいどこから間違っていたのだろうか。
 この先は憶測になる。


 主人公は父親を反面教師にし「自分は父親のようにはならない、妻を生涯大事にするし、子供だった自分がして欲しかったことをみんな子供にしてやるんだ」と理想を胸に結婚をしたと思う。
 でも結局その誓いが彼の目を曇らせたのだろう。

 理想がために主人公は妻に弱いところを見せられなくなってしまったのじゃないかと感じる。
 息子に対しては、前述したように息子そのものではなく満たされない子供時代を送った自分自身を重ねて言葉をかけてきたのではないだろうか。
 そのような相手を見ないで行う行為は、実際報われただろうか?


 不倫をしてしまったのは自分が勝手に演じて窮屈に感じるようになった家庭に耐えられなくなり、心を許せる相手を欲していたからではなかろうか。
 演じてしまったばかりに自分自身がなくなってしまった。息がしたい。自分のままでいたい。そういう思いで不倫した。
 そして家族を置いて家を出ることになってしまった。

 
 「自分を傷つけた親のようには決してなるまい。我が子には自分のして欲しかったことみんな与えてあげる」
 この誓いがどうして不幸を呼ぶだなんて思うだろう。

 こうして子供思いの愛情深い親が「僕っていい親だよね、ちゃんと愛せてるよね」と子供が親に問うように我が子に問う。安心するために。
 子供はYES以外に何を答えることができるだろう?
 ほんとうは自分を見てくれていないと感じていながら。


 息子に不倫を責められると主人公は「自分を生きて何が悪い」みたいなことを言った。
 そんな思いを抱いたのは主人公が家族の中で誰も求めていない「良き夫、良き父親」を勝手に演じて自分で自分の首を絞め、溺れていたせいではないか。彼にとって家族の中に自分はなかったのだ。
 まさか自分のせいだとも思わず「精一杯頑張ったのにどうしてこうなってしまったんだ、報われたっていいじゃないか」と主人公は思っただろう。
 「こんなに我慢してきたのに、自分にはこれっぽっちの自由も許されないのか、非難しないでくれ、奪わないでくれ」といわんばかりの、まるでカナヅチが浮き輪を奪われパニックになってしまったかのようななりふり構わない反応で、彼は自分の傷つけた息子に対して怒鳴る。
 まるで悪いのはお前たちだ、被害者は自分なのだと言わんばかりに憎しみを向ける。
 それだけでも私はとても絶望する。

 息子の中に問題はない。子供が代わりに親の問題に取り組んでいるんだ。
 主人公が取り組むべきは自分の問題だった。

 傷ついた私たちに必要なのは、絶望を生きる力なのかもしれない。





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