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NO! と言えるか

いいことのように見えたり聞こえることはたくさんありますが、実際は繕っているだけ、外見の体裁を構っているだけ、本質はそんなに満足できていない場合があります。

何を面倒くさいこと言っているのかと思うかもしれませんが、本音を分かっていないと人から理解されないことが多々あるということです。うまく人間関係を結べない場合、自分に原因があることもあります。相手のせいにしても何にもいいことはありません。

人に対して気も使っているし細かなことに気を遣っている風でもそれは自分可愛いからくる行動、案外自分本位の行動をとったり第三者を傷つけたり、していることがあります。

この人は本当に相手を思って言っているのか行動しているのか…。
ちょっとした違和感が綻びとなって、その人の本音が見え隠れするときがあります。


本人はそれに気が付いているのだろうか?ないならそっと言ってあげよう。でもその遠まわしな言い方が全然その人に届かなくて、反対に変な人と取られることもあるようです。

私は率直に言う方ですがそれぞれへの言い方には注意しています。はっきり言っても気にしない人もいれば、落ち込む人もいますから。
最近は注意されるのを嫌うおとなも多くて、自分の正当性を固持します。

意見の交換、考えを率直に言えたら誤解もされずに済むのに黙ってしまう。子供ならまだしもそんな子供おとなが増えているように思います。

我儘は「我のまま」決して他人を不快にするものではありません。
そんな嫌な思いをしていても口に出せない人の多いこと!そっちはそっちで少々問題ありです。

最近自分の考えをちゃんと言える場面が少なくなりました。事なかれ主義!それが良くないという意味ではありませんが、我慢し過ぎが結局ほかで噴出して何が何だかわからない状態になったり、自分がなんで悩んでいるのか、腹を立てているのかわからないという事態を起こしている人がいます。


その原因を作った罪深い人!は向こう岸で涼しい顔をしているといった有様です。
穏便にと思うなら徹底して気にしなければいいですが、なかなか私も含めて凡人には難しいようです。

仲良く見えても本当は表面だけで、希薄な関係がますます意思の疎通を出来なくしているのかもしれません。そんな人間関係を見ているとこちら迄もやもやします。

言い方も工夫が必要ですが、こんな行動をあなたにされて不快だったと言える自分でいることも大切なことかもしれません。それで分かってもらえないなら、自分とは合わないと判断して、無理にいい子ぶる必要はなさそうです。

「NO!と言える」ことは良いことです。
 しかし自分の常識は他人の非常識と言います。けっして他人を傷つけるものであってはならないと思います。



今朝の散歩、初めてのワンちゃんに出会ってお互いクンクン鼻を近いづけます。数秒後お互いひとうなりして別れます。あっさりしたものです。犬には「気を遣う」ということがありません。これこそわが意のまま!と言えるかもしれません。

今日もいい日にしましょう。
 



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