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生き方の自由

先日、いつものシニア飲み会で、ある男性からこんなことを聞きました。
離れている娘と何十年振りかで会って食事をしたところ、娘から「これからは性も姓も変えて生きていきたい」と告げられたそうです。まさか自分の身内から告白されるとは青天の霹靂!彼は典型的な昭和男子です。

「自分で決めたなら勝手にすればいい」その勝手にと言う言葉の中に彼のどんな感情が含まれていたのでしょう。一つだけの感情ではなく、小さい時のちょっとした行動や、ひょっとしてと思っていても長らく聞けなかったこと、雷が落ちた衝撃ではなく、静かに降りてきた娘さんの決断を受け止めるにはいい時期だと自分に言い聞かせたことでしょう。

「お互いおとな、娘さんも告白出来てほっとしていたでしょう!」
「よかったね!」するとひとりが「うちの娘も自分の事を僕と言って男の子とばかり遊んでいたけれど今は2人の母親なのよ。」と先程の告白の繊細な内容とはちょっとはずれた話をしだしました。彼のちいさなうなずきがその先を止めました。「それでね…。」

ずーっと悩んで母親には早くに打ち明けていたけれど父親には言えなかったと。父親として全く気が付いていなかったことへの後悔が一挙に押し寄せてきたそうです。

考えてみれば私たちの小さなころは女の子はズボンをはきたいと言うと親はあまりいい顔をしなかった経験。男の子がままごとをしていると、「男の子なのに…。」と言われました。親や教育を責める気はありませんがそういう時代だったのです。
そんな子供たちが親になり我が子が幼いころから、悩んでいた心はどんなだったか私には計り知れませんが、さぞや…。
今は自ら告白してみんなに受け入れられるいい世の中と言えばそうですが、これからも傷ついたり、分かってもらえない人物にも出会うと思いますが、
それはそれ。みんないろんなことで悩んで、解決して喜んでの繰り返し。
まずは一歩前進です!自分の人生なんですからこれからの道に光あれ!です。後ろには友達や家族がこれからもいるんですから、大丈夫です。

今回親子の間で一つ解決したことは喜ばしいこと。男性は「みなさんにも話せて良かった!」と晴れやかな表情でグイっとビールを飲み干しました。
長らく会えなかった時間もいいように作用したのかもしれません。

親子のきずなや、娘さんの人生、受け入れた親の気持ち。いろんなことをその場のみんなはそれぞれいろんな自分事に当てはめたように私には見えました。

自分の将来は誰にもわからないものです。まさか自分に!とあてはまらないことがたくさんあります。私もまさか私が!と言う連続でした。それが人生。誰一人として同じ道はありません。どんなことも受け止めることが出来る親でありたい!また人生の先輩でありたいと思える今回の飲み会でした。

受け入れる大きな器をお互い持ちたいものです。

今日もいい日にしましょう!




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