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母と花 たくさんの思い出はいいもんだ

いつも季節の花を見ることが出来る三宮。歩道のあちこちに植えられています。知らぬ間に春の花に代わって色鮮やかです。

急ぐ人の目には止まっているのかいないのか?そこにあるのが当たり前になっているのかもしれません。

生活に草花があるってことは心の豊かさにつながるような気がします。
お花屋さんの花も素敵ですが公園に咲いているタンポポ、すみれ、ゼラニュウム。もちろん桜は人の目を引きます。

母はいつも部屋の片隅、玄関、トイレといろんなところに小さなグラスや器に小花をさして飾っていました。その時はなにも感じませんでしたが、今ごろ同じようなことをするようになったのは無意識の内にその風景が刻まれていたのでしょう。

シロツメ草を見ると摘みたくなります

父が亡くなり急に痴呆が進んだ母は精神的に弱っていました。気持ちを抑えられなかったり気弱になったりと家族は途方に暮れることが何度もありました。

気持ちが高ぶり暴れることも。あんなにしっかりしていた母がと思うと情けなく、年を取るということの残酷さを目の当たりにしました。それを息子たちは一緒に見ていたわけですから、きっと私も同じようになるのではないかと心の中では不安に思っているでしょう。

ボケないでいつまでも五体満足でいられるなんて誰しも思ってはいません。自分で「だいぶ来てる?」と思うこともありますがそう思っているうちはまだ大丈夫だと言われました。
「ロボットに介護をしてもらいたいか?」と言う話が出ました。自分で食べられなくなってロボットが食事を口に運んでくれる。ちょっと味気ない!ベットから起こしてくれる。これはいいかも。もう一つ下の世話。これは家族の手は極力避けたい!他人でも男性には…。そんなときロボットならいいかなあ。そうやって使い分ける時代が来たら気兼ねなくまかせられるかな?
母も自分でなんでもしようとしました。手を貸そうとすると不機嫌になりそのままにしておくと後で大変なことになったことも…。

最後はホームに入った母を孫を連れて会いに行ったことがありました。「はじめまして!かわいいね。どなたのお子さん?」と最高の笑顔で娘と孫に挨拶する様子は会うごとにどんどん遠くに行ってしまう、生きているのに魂は離れようとしているのか丁度 間の世界を生きているようでした。

亡くなって小さな荷物から、一枚の便せん。つたない鉛筆の文字がありました。私宛に「ごめんね。私はどうしたらいいかわかりません。本当にごめんなさい」涙が止まりませんでした。
いつかこの日が来ることは分かっていましたが、最後 会うこともできず一人で旅立ちました。
部屋の壁に孫の描いたチューリップの絵が押しピンでとめてありました。もう誰が描いたのかさえわからなかったでしょう。朝の検診はいつものように冗談を言っていたそうです。笑って旅立ったことは少しだけよかったと。

チューリップは母の大好きな花で、小学校一年生の私が赤く咲いたのを詩にしたことをたいそう喜んでくれました。その作文用紙は「はな丸」の色だけが鮮やかに残っていて力を入れて書いたであろう鉛筆書き。いつまでも保管していました。そのことを思い出しての壁の絵だったのかもしれません。
 桜満開の日曜日。今日は母を想っての散歩になりました。


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