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忠誠心は今や幻?

今日は中山手通にある関帝廟に。久しぶりの散歩です。

神戸のもう一つの顔は南京町。日本三大中華街の一つですが、横浜のとはかなり規模も小さい一角です。そこから山側に歩いて行くと住宅街の中、関帝廟があります。ド派手な外観とはうって変わって静かな空間。華僑の人たちが時折お参りに来るぐらいですが、ここ、なんと商売の神様です。

あの勇猛果敢な関羽が?と思いますが劉備に仕え漢朝再建のために張飛とともに大活躍した武将がです。

桃園の誓いは創作上のお話ですが、漢たち!の生死を共にする宣言。

劉備はふたりを兄弟のように恩愛をかけ、また二人は命を懸けて守る。

一時は小説「三国志演義」を夢中で読みました。

義に熱く武勇に優れ、少々人を見下すという人間臭さもありとただの英雄でないところも面白い関羽。

今では忠義、とが恩義という言葉はどのように思われているのでしょうか?戦国時代ではないので武器を持って戦うことはなくても、仕事なら、会社や上司に少しでもそんな気持ち!「ないなーい!!」といろんなところから聞こえてきそうです。

だいたい飲み会になると上司への愚痴。上に立つ器ではないとかお金払いが汚いケチ!成績ばかりをがみがみとうるさくいう。良いところを探すのは難しいそうです。

昭和の時代では未だカミナリ親父がいて、家の中では一番怖い人。そんな父親を尊敬して…。いまでは「ないなーい!!」大きくなった子供から聞こえそうです。あまりしゃべらないし面白くない、できれば顔を合わせたくないという娘たち。帰宅すれば居間から蜂の巣をつついたようにそれぞれの部屋に散っていくそうです。

最初から立派な人物、リーダー、親はいません。それを育てるのが周りの人間。年長も年下もだと思うのですが…。そう思ってくれるような何かが足らない場合もあるようです。尊敬より親しみやすさらしいです。友達、兄弟のような関係の上司や、親がいいなあと。「ないなーい!!」反撃の声が聞こえます。

この世の中が生きやすくなるためにみんな自我や自由を大事にするようになりました。「右向け右」では誰もついてこない。「どちらに行くべきか?」と聞けば「どっちでも」と言い、「仕事に命は賭けないよ。大切なのは自分」という。

「誰も生んでと頼んだ覚えはない!」なんて悲しいことを言われたと嘆く母親の苦笑い。

人の心にいつの時代も残っていてほしいものは何でしょう?

義に熱かった関羽が商売の神様として華僑の人に信仰されているのは商売も「義!が大切だからよ」と言った華僑のおじさんの言葉を思い出しました。

尽くすは行動ではなく気持ち。それが通じれば愛や慈しみ、やさしさ…。宝石のごとくキラキラと零れ落ちてくるような気がします。

また三国志を読みたくなりました。そろそろ秋の夜長、一つ楽しみが増えそうです。

今日もいい日にしましょう!



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