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老人力とは緩むこと

雨の日曜日になりました。
5月も半分が過ぎて「また熱い夏がやってくるね。」という会話が聞こえてきそうです。

こんなに1年が経つのが早くなるのは、自分の思考や行動が鈍!になっているからでしょう。年々早くなる!ホント実感しています。
小さなころの指折り数えて待ちに待った夏休み。でも40日はあっという間でしたね。

一つをすれば一つを忘れる。仕事や家事はテキバキと出来なくなって、でもここで年を理由にするのは恥ずかしいこと、悔しいこと。でも自分だけには「これも今の私。笑えるね⁈」と自問自答します。

有り難いことに若い人は私たちに優しいなあと思います。
パソコンやスマホの使い方、何度聞いても習得できず、偶然に出来たことはもう一度と言われても二度と出来ないような…。それは私にとっては奇跡のようなもんです。

それでも年を重ねた感覚はなく、できないことが多くなっても生きていけるという開き直りもあり、それはまさしく老人力なのかもしれません。

「その度胸、欲しいです!」と若い人に言われることは、若い時の繊細さがなくなっただけのこと…。何とかなるさ、どうにかできる。あいまいでありながら、100点を目指さない気楽さがとても心地よいのです。

それとすっかり物欲がなくなりました。達観なのか諦めなのか…。
ちょっと心配なのは感動することも…。初めてのことが少なくなったとはいえ物事を見て、聞いてなんとなく輪郭が分かってしまう。

それとなんと涙もろくなりました。
琴線に触れるようなことでなくても、ただ涙腺が緩んでいる。特に動物の動画に弱くなっています。
泣くことは負けることとやせ我慢して突っ走っていたのに、ちょっとしたことで、勝手にポトリと一滴のなみだ。

怒りに対しては、非常にあらわにする人、菩薩のように達観する人とこの年齢は様々です。頑固になるのと流されるのとどちらが楽と言えば後者に決まっています。我を通すとはエネルギーのいることです。

ハッキリ物事を言えることはいいこと。でもそれに針を忍ばせていては相手を傷つけるだけになりますからこれは年長者であっても慎むべきでしょう。

優しいだけでは気付かせてあげられないと思えば、工夫してアドバイスできるのもシニアならではです。そのスキルは自分の経験で培ってきたはずだから。

この人の言うことならと思える人間に自分が成長しているか、今確かめることの一つかもしれません。

若い人からもいろんなことを教わってお返しできるものは何か?

これからも学びの場面はたくさんあるように思う今日この頃です。

今日もいい日にしましょう!



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