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小さなともし火

寒い夜は部屋が暖まっているだけでも小さな幸せを感じるものです。

日中は留守番のニケだけなので自由に庭に出入りできるように少し扉を開けて出かけているので部屋の換気は良いのですが、ほぼ外と同じ室温です。

トコトコと二階から降りてきて迎えに来てくれるのですが寒さを回避して、寝ていたのでしょう。

帰って来た私が「ごめんね。寒かったね」とエアコンのスイッチを入れて、もう一台遠赤のストーブも点けての大サービスです。

以前は誰かが家にいて帰ってくる家族を迎えました。

専業主婦の時代は学校から帰宅する子供たちを「お帰り」と迎えることが当たり前でしたが、環境が変わって一変、2人は鍵っ子となり寒い家に帰宅してさぞ心細い思いをしたことでしょう。

最近はキャンプファイヤーの焚火だけを流すYouTubeもあって私たちにとって暖を取るということは何かを思い起こすことなのかもしれません。

炎は何も考えずにただ眺めているだけで安らぐ力を持っているようです。

そんなことを思っていると「マッチ売りの少女」の話が浮かびました。

全部のマッチに火をつけて亡くなったおばあさんのもとに旅立ったという

切なくて、悲しい物語ですが、マッチを燃やしている間の炎は少女を幸せにしたことでしょう。その不幸をただ哀れと思うのか運命であれば、直前でも安らかな一瞬を得られて旅立ったことを良かったかと思うかは人それぞれです。

私の生活の中で、ロウソクに火を灯すのは朝夕、仏壇に手を合わせてお経を唱える時です。

ゆらゆらと左右になびいたかと思うと真っすぐ背伸びもする、色も青い部分から2段階ほどオレンジ色が重なってこちらに語りかけているようです。それは両親であったり義父母、主人、友達、愛犬といろんな人の顔が頭に浮かんできます。

経を唱えながら先祖と会話するひと時です。

15分の短い時間ですが、家のどこにも存在しない私がいます。

一種のトランス状態?ですが最後の炎が思っているより長く揺らめきながら消えようとする直前明るくなって細い煙が真っすぐに登っていけば私の今日が始まり、一日が終わります。

灯は心に感謝と言うあったかさをくれるようです。

もうすぐ1,17の集い。あれから27年。それぞれの人生を歩んできました。灯籠で作る今年の文字は「ともに」。
今、被災されている方が一日も早く元気になっていただきたいものです。

外の庭は濡れていて風も冷めたそうです。ニケは時折、外を見てこのくらいなら散歩…。と言いたげですが日曜日の夕方。朝たっぷり行った分相殺ということで…。なんとなく割り切れない顔つきですが、あきらめたのかストーブの前に陣取っています。

今日もいい日にしましょう!





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