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未練の捨て方

人それぞれにこだわりがあっていつまでもしがみついていることや抗ってうまくいかない現実にもやもやしていること。一つや二つあるようです。

自分の気持ちにそれが応えてくれないのは自分のせいではなくて周りが悪いと押し付けがちですが、他人のせいに出来ないのが年齢を重ねることで現れるさまざまなことです。

50歳半ばになると女性には分かれ道が待っています。いつまでも若くいたい。私はほかの人と違っていつまでも外見は若く見えるし大丈夫!という自信がまだまだ溢れていて何のためらいもなくアンチエイジングに拘る道を選ぶ人。

一方はもう50!最近体の所々が痛いし、風邪を引いてもすぐに治らず、他人の言ったひとことがいつまでも過って許せない、もう一緒にいるのはごめんだ!と決別宣言。

どちらの道が正しいかではなく、どちらもこれからの人生工夫が必要な考え方だと思います。

女性の身体と気持ちは繋がっているようでばらばらで、自分でもよく分かっていないところがあります。

それを分かってくれないと男性に言い放ったとしても無理なこと。
自分は女性と言う不思議な生き物でそれは魅力的でもあり、厄介なものでもあることを知らされる時でもあるようです。

そんなしがらみから解放される方法があるとすれば…。
一つは受け入れることと分かりやすい身近なものを捨てること。

50歳半ばの知り合いは若さを保つためにいろいろ努力を惜しみません。
若い時に成功したダイエット法を最近もう一度始めましたが、体調を崩して顔色もよくありません。

友だちに「体質が変わったのだから今はその方法があっていないのでは?」と問われても効く耳を持ちません。

ショッピングモールに行けば驚くほどあれもこれもと買いあさる様子は彼女の心を表しているようで切なささえ感じます。

話す言葉の節々に過去の豊かな生活や、バブルの時の派手な洋服を捨てられずサイズが合わなくなった今は、時折みんなに写真で披露します。

それでみんなの注目を浴びたとしても余計にむなしい数時間後が待っています。最近はお酒の量が増えたそうで飲み会に誘いますが、そんなにみんなが頻繁に付き合ってくれることもなさそうです。

今お付き合いしているパートナーのことをサラッとですが自慢しますが、うらやましいと思われる以上にその環境は満足できるものではないことが分かります。

全て後ろを見ているから今の自分が立っている位置がみえてないのかもしれません。

そんなぐらつく人生半ば目のやりどころで希望も湧きます。
少し目線を帰れば新たな自分がみえてくるようにも思いますがいかがでしょうか?

悩むことは今の状況から脱したいというパワーに繋がります。
でもそれを破ってそこから出てくるのは自分の力。

その年代にしか見えないもの、体験できないことがいっぱいあります。
もう自分はあの時とは違う人物?ぐらいに達観すれば若い時の好奇心は違った景色を見せてくれます。

未練はいつの間にか思い出の1ページとなりたまには心休まる時間をくれます。

昨夜の春雷はどでかい雹を連れて蕾が顔を出したアジサイの木を叩きました。

今まで聞いたことのない状況にニケは「さあ何処に避難したらいいの?」とうろたえてましたが、いつもの椅子の下。
こっちにおいで!と手を広げましたが、その時はいつものツンデレ。「別に怖くはないわ。」と言わんばかりにお尻を向けました。

今日もいい日にしましょう!



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